8-② 澄明(ちょうめい)な思考方
<澄明な思考方法>
-およそ混乱の不可能なおどろくべき単純さ
澄んだ思考によって解決できないような人間的困難はない。そうだ、あなたの行く道をよい道にするためには、澄明な心をもってあなたの道を行く以上のことは要らない。
というと、これはあまりに単純なアプローチと見えるかもしれない。われわれはそれほど、複雑な理論や学者風なもっともらしい結論を探しもとめる習慣のなかにいる。それらは不必要なものだ。われわれに必要なことは、われわれの心から心的な雑草を刈り払い、実りある成長を可能ならしめることだけである。本書でわれわれは深奥な宇宙的諸原理を勉強し合っている。われわれはクリシュナムルティやグルジェフのような人々のアイディアを探究し、禅やスーフィ教のような思想体系を検討しつつある。また本書では、スーパーマインドという特別の術語が創りだされた。
われわれがこれらのことをやってきたのは、ただひとえに、心を澄明となし、人生が変えられるようにという目的からであった。
そこで問題なのは、多くの人々が、自分たちはすでに澄明な思考をしていると考えていることだ。
なんど悲劇や惨めさに出会っても、人々は彼らの心的プロセスにどこか狂ったところがあるとは、決して倍じようとしない。彼らは葛藤の教えてくれる教訓を決して学ばない。彼らはひたすらに新しい教説、ポピュラーな摂楽、親しみなれた顔を追い求め、決して来ることのない解放を待望している。
それは砂漠のなかで方角を失い、パニックに陥って更に遠くへ彷徨し去ってしまう人にも似ている。
もしあなたが経済上の損失を蒙ったとしたら、あなたの解決法はこのことについて澄明に考えることで、それ以外にはなにもない。あなたがこれを受けいれようと受けいれまいと、私はただこれが事実だとあなたに確言する。もしもあなたが孤独に嘘まれているとしたら、孤独感の入りこむことのできない思考という港がある。もしもあなたが自分はどうなるのだろうかと恐れているなら、スーパーマインドからの澄んだ考え方が、そんな恐怖を追放してくれる。あなたがもし自分の人生をどうしていいか分らないといえば、およそ混乱が不可能な、おどろくべき単純さで思考することを学ぶことができる。
心がいかに人間を変えるかの例として、われわれはアウグスティヌスを見ることができる。アウグスティヌスは、若かりし日の彼の愚かさを想いださせるような卑小な人々からいじめられ、嘲られて
いた。だが彼は、自分の性質そのものが大きく変り、愚劣さがもはや彼の一部ではないことを知っているから、卑小な人々の嘲りを、ネガティブな反応なしに、心静かに受けとめていた。次の問いと答とのやりとりは、まるでアウグスティヌスが参加したといっていいくらいであるー
Qあなたはいつか、スーパーマインドは過去の過ちを購すととができるとおっしゃいましたが、どうして歴史を変えることができるのですか?
A自己の歴史は心が作るとおりのものです。あなたはあなたの心を変えることができる、従ってまたあなたの自分自身についての観念をも変えることができます。過去の過ちの記憶にあなたを制する力を与えてはいけません。記憶は元来そんな力はないのです。あなたは実際にあった出来事は憶えていられる。ですが、それが今日のあなたとなにかの関係があるなどと考えてはいけません。あなたは一秒毎に新しい人間なのです。
Qわたしの人生はフラストレーションにつぐフラストレーションです。わたしはいつも、それをすればわたしに利益があると希望しながら物事を行なっております。しかしいつも、スタートした地点へ戻って、それで終ってしまうのです。希望が大きければ大きいほど、失敗もよりこたえるのですが、どうしてでしょうか?
Aあなたは、自分は何が自分のためによいかを知っていると、誤って思いこんでいる。あなたはどうしたらあなた自身に恒久的なよいことをしてやれるかを、現時点では知っていない。間違った念から行動するのは、漁網を砂漠に張るようなもので、まったくの徒労です。あなた自身の心の働き方を学びなさい。
Q しかしわたしの獲得した信念に従ってみて、なぜ進歩することができないんでしょうか?
A それは道路が間違っていれば、間違ったところへ行ってしまうのと同じです。シカゴへいく道路を走ったのではニューヨークに着けません。
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