3-⑨ 宇宙的な生き方への目覚め
<宇宙的な生き方への目覚め>
昔から伝わっているこんな心地がある。二人の水運び人夫が道でばったり出会った。
「すみませんが飲み水をくれませんか」
「だっておまえの水恋に水が入っているじゃないか」
「はい、でもこれを飲むと病気になるんです」
幸福になれると期待して徳りのアイディアにしがみついている人々に率直に説いてやるのは容易なことではない。こういう人々には、閉ざされた心が蒙る罪悪感とは、自己対立と自己悲欺ということである、と告げてやらなければならない。これについては疑う余地がない。われわれは、まやかしと戦い、われわれ自身のために作業するか、でなければわれわれ自身に敵対し、まやかしの味方となるかのいずれかである。
人は霊的な眠りの状態にいる、だがそのことを知らない。
彼は驚くほど清新な生へと目覚めることができる。
問題とその解決は右の二つ以上には簡単に表現することができない。
あなたの内部にネガティブなものを見つけだすことは、ポジティブな行為であって、ネガティブな行為ではないーとのことを忘れずにあなた自身を気づけなさい。あなたの弱さと混乱に気づくことは、あなたを強くする。なぜなら意識的な覚醒状態はネガティブなものの闇を追い払う明るい灯だからである。正直な自己観察は、無意識的な眠りという闇のなかでこれまで暴虐をほしいままにしてきた苦悩と圧力とを解消してくれるからである。このことは重要なので、あなたにはぜひ、次の事を暗誦し、反省してほしいと思うー
内なるネガティブなものを看破することはネガティブな行為ではない、それはあなたを新しい人間にしてくれる雄々しくもポジティブな行為である。
ネガティブな反応で特に注目を要するものがある。罪悪感がそれだ。これを徹底的に排除せよ。過去にどんな誤りがあったにせよ、あなたの今現在には自己卑下のためのスペースはないのだ。あなたのいまの習慣すべてをふくめて、あなた自身をその在るがままに受けいれよ。あなたが非難する自分自身を、案山子だと思って、冷静に無視せよ。あなたに責められている自分自身は、古い無用の衣類をきせられた案山子なのだ。間違った観念群で接着された虚構のアイデンティティなのだ。冷静に無視せよ。そして一切の感情はなしに、ただ静かに自己卑下を拒絶せよ。案山子に罪はないのだ、案山子はリアルではないからだ。だが、あなたの内部には、リアルなしかも罪をもたないなにものかがあるのである。
やがては心理的な成熟にまで到る初期の成長プロセスは、晴天の日に、森のなかを歩く人になぞらえられる。森を行くとき、彼は木の蔭の冷たさを感じる。だが林間の空地へでると、太陽の暖さと明るさに気がつく。こうして、進むに従い、彼は明るさと暗さを交互に通っていく。
太陽は常にそこにある。変化するのは、太陽に対する彼の位置関係だけである。霊的な道を求める
旅人も、これと同じく、暗欝から陽気さへ、また疑惑から理解へ、交互に明暗を経験していく。だが長く歩けば歩くほど、林はまばらになり、空地がひんぱんに現われる。暗さは減り、明るさが増していく。次の、問答を考えてみようー
Q霊的なアイディアと絶えず接触していくだけで、わたしたちは進歩していけるのではないでしょうか?なぜ、接触ではなく受容性を強調なさるのですか?
A受容性を穴いた接触は無効です。瓶に入れられた濁った水は、湖面を何年漂ってもきれいにはなりません。清浄にするためには瓶を割らなければなりません。ということは、われわれは、われわれ自身のなかから間違ったアイディアを取り除き、自分自身をきれいにしなければならないということです。
Q いったいどんなふうにこういうことを切り抜けていきますか?
Aいままでのいき方で考えないことです。慣れ親しんだパターンで喋らないことです。いつも感じていた感じ方で感じないことです。習慣に従って生きないことです。
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