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1-⑦ 真の宇宙的な導きへの道

<真の宇宙的な導きへの道>(P35〜✔︎)

混乱した人は叫ぶ、「だけどおれは何を信じたらいいかわからないんだ!」と。

悟った教師は答える、「信じるって、なぜです?見さえすればいいのです!」と。

そうだ、見ることは可能なのだ。そして、見れば分るのだ。ウィリアム・ブレイクの有名な詩句(しく)はこう説明する、「知覚の扉さえ清らかに磨いてあれば、万物はそのあるがままに- 無窮(むきゅう)無限のものに、見えるだろう」

そうだ、その精神的な視力で万物を在るがままに見ることのできる人々はいる。われわれは本書で、多くのそうした活眼の人々に出会う。その内的な光が外界へ投射され、あらゆるものがその在るがままに見えた、有名なギリシャの神秘哲学者プロティノスは、そうした歴史的典型の一人である。

プロティノスは紀元前二〇四年エジプトに生れた。東方を旅行してその秘教的叡智を学んだ後、ローマに定住し、ひとつの哲学の学派を築き、間もなく導師として著述家として盛名を得た。彼の深い知性とおだやかな人格に惹かれて、当時の有名人がこぞって彼の門をたたいた。彼を訪れた人のなかには、ローマ皇帝ガリエヌスとサロニナ皇后のカップルがあった。プロティノスの家は、戦争に明け暮れるローマの緊張と混乱のさなかで、大きな憩いのオアシスであった。

プロティノスの著作集『エネアデス』は、アウグスティヌス、ダンテその他の思想家に深い影響を与えた。それもその筈、次のようなプロティノスのことばを味うがいいー

われわれがかくも浄化された自己自身に出会うとき、この全体的な自己をただひとつの輝き、計測を超えた光輝と見るとき・・・・・真の視界が展けたのだ。この低いところにいてさえ、われわれは高処に到達したのだ、そしてその先の導きはもはや不必要なのだ。

導きはいらない。そのとおりである。秘訣はただひとつ、こうである- あなたの幸福はどうなるかの心配などはないかのように、一時一時を静かに過ごすのである。ふつうの意味の不注意というのではなく、心配は不要だとの叡智の理解があるから、こうしていられるのである。

あなたの内的な世界に関するかぎり、このように理解し、もっぱら静穏を心がける。そうすれば、外界の事柄についてもあなたには行動上の問題はまったくなくなろう。外部的な問題があるというのは、われわれが自我から指針を求めるからである。自我とは混乱、錯覚のかたまり以外のなにものでもないのだ。

フリードリヒ・ニーチェは、多くのものを見るためには、自分を離れて見るようになることが必要だと言っている。

自我を超えて見る、すなわちあなた自身の従来の生き方から脱し得るかどうか?これが唯一の間題であり、唯一の解決である。

あなたの内部には、完全な静止状態で立ち、周囲に起こるあらゆる事どもを静かに見守ることのできる、あるなにものかが存在する。譬(たと)えてみれば、あたりを取りまく荒天へ光を投げかけ、それみずからは嵐にいささかも煩(わずら)わされず、泰然と聳立(しょうりつ)している灯台の回転光束(ビーム)のようなものである。

あなたが物事を真にあるがままに見るとき、外部世界はいささかもあなたの平安を乱すことができない。俺は貧乏で、孤独で、すこしも成功せず、病弱である、だがそれでもなお、おれは幸福である

-百万人に一人にでも、こういう境地が起こり得たら、この人こそまさに真の天才である。