7-⑥ 人がほんとうに欲するもの
<人がほんとうに欲するもの>
-リアルであるということ
あなたが欲求しないあるもの、もしくはあなたに関心を感じさせないあるものから、あなたがわされるということは絶対にあり得ない。だからしてわれわれは、りの欲望から自由であることの必要を強調するのである。欲望とは何かを理解することは、東洋の神秘思想家たちがタンハー(tanha)とよんでいるもの、すなわち痛ましい渇望、もしくは愛執、妄執、渇愛を滅却する。
あなたが平和という名の二服の薬のいずれかを取れと言われたとする。一つは、物事があなたの欲するように展開したときだけ、あなたを安らかにさせる。他の一服は、どういう出来事が起ころうとそれとは関係なく、あなたを完全に幸福にしてくれる。さてあなたはどちらを選ぶ?もちろん後の方であろう。
だがいまとの瞬間に、何千億という出来事のなかに嵌まりこんでいる何百万という不幸な人々は、最初の一服を選ぶ。なぜ彼らを不幸にする一服を選ぶのか?ととのところはよく聴いてほしい。それは後らが、何が彼らを幸福にするかということについて誤ったアイディアをもっているからである。幸福は友達をたくさん持っていることから来ると主張するなら、それは誤ったアイディアであり、苦しみを生む。配偶者もしくは社会に倚りかかることで、気楽な人生が得られるとじるとすれば、われわれはショックを待ちうけているようなものだ。
言い換えれば、われわれは、欲しいものが手に入れば幸福が起こってくると誤って思う。
だが起こるのはスリル、自己満足、あるいは威力感などであって、それらはどれも幸福ではない。
トルストイは、質の幸福がピークに達すると悲欺に変ると言っている。世俗的な成功をついに射止めた人々が突然に絶望に転落する、その訳がこれで説明される。彼らが立派な山だと錯覚していたものが、その錯覚を打ち消す黒雲に変ってしまうのである。
ここで、あなたが絶えず反省の材料にできるすばらしいアイディアをひとつ披露しよう。このアイディアの意味を十二分に把握することをあなたの仕事にしてほしい一
どんな人もほんとうは、彼が渇望しているものを得ることなどには関心がないのである。ほんとうの関心は、彼が彼自身と平和でありたいということなのだが、それにはどうしたらよいのかというその方法が分らないのである。
だからして、スーパーマインドから考えることを学ぶにつれて、あなたの欲望と野心とは変ってくるのだ。あなたがこれまで価値あるものと思ってきたものが、いま無価値なものとなる。これまでバカバカしいと考えていたものがいまは貴重との上もないものとなる。
あなたがあなた自身のためにしてやれる最大の助けは、リアルであるということだ。リアルであることはあらゆるものであることである。質物の破壊は匹物であることの発見から始まる。リアルな人間となる方向へとの道を進みだすにはどうするか、そのひとつの行き方は- あなたが他の人といっしょにいるとき、自分の内部状態を観察するのである。自分はいま苛立っているか、意しているか、あるいは物を言わなければと強制されるものを感じるか?
次には、あなたがまったく独りきりでいるときに自分自身を観察する、独りでいるときのほうが、内面的にはもっと気楽だろうかと。正にそのとおりだとあなたは気づくだろう。そこで、次のように実行する。他人といっしょのときも、自分独りきりのときと同じように寛いでいる、この訓練を試みる。他人がいるというだけで神経質になることを拒否する。こうしていくと、徐々に、だが着実に、あなたは、他人といっしょにいるときの強迫的な行動を追放することができる。あなたはいつまでもリラックスしていられるようになる。
あなたがリアルな自己の境地を達成するのに障碍はない。想像された障得というのは、誤った思考の蜃気楼でしかない。
他の人といっしょにいるからといって緊張したり、もしくは落ち着かない不快な状況というものは、本来はあり得ないのだ。その場合、あなたを苛立たせるのは、あなたがその人になにかを借りている、負い目があるかのごとく誤って考えるからなのだ。その人にある態度を示さなければならない、納得のできる説明をしなければならないなどと感じるからなのだ。
あなたはリアルであればいい、リアルであること以外に他人に対してなんの負い目も、義務もないのだ。他人もまたあなたに対してリアルであること以外の義務は負わない。あなたは誰からも何ものをも期待してはならない。他人はあなたのために真に価値あるものはなにも持ってはいない。あなただけが、あなた自身に、真に価値あるものを与えることができる。
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