10-⑦ 怖れを癒すには
<怖れを癒すには>(P252✔︎)
-人間は彼の虚偽性を彼自身と思っている
怖れの癒し方について助言をもとめる人が多いのには驚かされる。ここに問答を掲げてあなたへのガイダンスとしたい-
Qあなたのご本のお蔭でわたしは初めてなにかを理解することができました。わたしは自分が非常に怯えていることにいま気づいています。実際に怯えているのです。怖れの原因とその治癒について相談したいのですが・・・・・
A.問題全体をできるだけ簡単に説明しましょう。人間というものは、彼自身についての想像上の観念群、誤った道徳観念、神経症的な欲求などから成りたっている砂上(さじょう)の楼閣(ろうかく)に生活しているのです。彼はどんなことについても誤った意見をもっている、人間関係であれ、世俗的な成功であれ、宗教であれ、すべてについて間違った考え方をしている。その上彼は、誰か他の人がやってきて、また何かが起こって、彼の誤った楼閣を打ちこわしはしないかと恐れている。彼は脅威となるものに対しては、なりふりかまわず抵抗する。こうして彼は怖れに満たされるばかりでなく、疑いぶかくなり、敵対的になるのです。
Q 彼自身の虚偽性が壊わされることを恐れている、とおっしゃるんですね?
Aそうです。彼は勘違いしていて、この誤ったアイデンティティを彼自身と取っている。彼は、彼のアイデンティティがこれらの想像上の観念の束からできていると思いこんでいる。本当はそうではないのに、そうだと思っているから、彼のそばへ近づいてきて、彼の偽りのアイデンティティを破壊しようとするものに対しては、相手が人であれ、ものであれ、猛烈に戦うのです。彼は自分では、おれはおれ自身を救おうとしているのだと本当にそう信じている。あにはからんや、彼は事実上、彼自身の惨めな境地を恒久(こうきゅう)化しつつあるのです。彼の真のアイデンティティがやってくる前に、まず彼の誤った自己感覚が去らなければダメなんです。
Qでは、どうしたら彼はその虚偽性を放棄できるのでしょうか?
Aそれは、砂上の楼閣が崩れるのを黙許(もっきょ)し、かつリアリティの波が押しよせてくるのに抵抗しない、この二つで達成できます。砂上の楼閣が崩れると、防衛すべき虚偽性の構造体をもはやもっていないのですから、彼は怖れなくなります。われわれが怖れるのは、人為性を防衛しようとするとき、又はなにものかをかくそうとするときだけです。
Q例を示して下さいませんか?
A たとえばあなたがある事が起こってくれればよいがと望んでいるとします。それが起こらないと、あなたはイライラしてくる。たぶんあなたの通常の反応は、憤りを感じるか、誰かを責めるかでしょう。しかしあなたは、いま、理解したいと望んでいる。だから、あなたの内面へ眼を向けます。すると、あなたがその出来事の実現を望んでいた本当の理由は、それが刺激的な興奮とか安定感とかをもたらしてくれると思っていたからだということを、あなたは発見する。あなたは、この誤信を悟る。なぜなら、外部的な出来事は、なにごとであれ、あなたのためには何も為し得ないからである。それであなたは、誤った安定感への欲求を投げだしてしまう。その瞬間、怖れはやむのです。
Q ご指示をいただいた通り、このことの理解に努めたいと思います。
A 結構です。そうすれば、どんなことについてもけっして怖れをもつことは要らないのだと分るでしょう。
あなたが採れるひとつの態度がある。この態度を採れば、新しい境地への着実な前進が間違いなく保証される。それを示す前に、この態度のもつ深い意味を信じてほしい。それは到底ことばでは表現できない深い意味を含んでいる。多くの人々の内的状態を一語でいいあらわすとすれば、"凍結した"といえるということは前にもお話した。しかしあなたはもはや、凍結した心から立ちのぼる痛みは欲しない。あなたは、川のような流れる自由さが欲しい。
誰かを何かについて責めるな、そうすれば解放と安らぎがみつかる。あなたにどういうことが起ころうとも、何かをあるいは誰かを見つけて責めることはやめよ。他人を責めることは治癒力のある洞察を切りとってしまうことだ。他人を責めないことで、自己責任が増大し、従って自己成功が増す。
他人に対する非難のほとんどは下意識でなされているから、われわれはそれに気づかない。しかし、神秘思想家、エックハルトが指摘したように、地表の下にある石は、見える石同様に重いのだ。重荷を棄てるためには、一切を責めるな、そしてなぜ物事がこのように降って湧くのかの理解を求めよ。
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