3-⑥ パーフェクトな出発
<パーフェクトな出発>
誰でも、先ずみずから求めないかぎり、心底からそのつもりで求めないかぎり、なにものも与えられないというのは霊的かつ宇宙的な法則である。生を解放するもろもろの事実に抵抗するのは、それらをすでに理解しているとして、理解への努力を拒み、排除することである。
霊的かつ宇宙的なアイディアに初めて遭遇したとき、あなたはそれらの理解を求められはしない。
どだいあなたにどうして理解などできよう。あなたはただ健康な好奇心で観察し、より深く知ろうと欲するだけでいい。こうした正気の、良識的なアプローチが常に利益をもたらしてくれる。
ブラウニング、テニスン、ワーズワース、ホイットマンなどの詩が立証するように、間接的に象徴的に提示されたときに、心は、いちばんよく真理のにじんだアイディアを受容できる。これらの詩人の叡智は、条件づけられた心の抵抗をすんなりとさけ、心の芯にある直観的な自己に到達し、これらのアイディアを真理と認知する。
それゆえ、われわれの最初にしなければならない作業のひとつは、受容しようと努めることではなく、受容への障得を取り除くことである。そうした障碍とは、たとえばネガティブな色合いの想像、機械的な反応、コチコチに凍りついた態度などである。
間違ったものを受容しないことが、正しいものへの受容力を築いてくる。ネガティブな影響力に歓迎の意を表してはならない。あなたにとって間違っていると感じとれたものに対しては、なんにかぎらず、断乎として否と言え。これは、われわれには虚偽性を理解する力がないから、初めは難しい。
われわれは際立って技巧を凝らしたものは大抵”インチキ"であるということが分らないから、人の颯爽とした知恵者ぶりに感歎しがちである。だが、やがて叡智と強さがあなたにはついてくる。若木は嵐から護られなければならないが、充分に成長したあかつきにはどんな嵐にも、どんな疾風のなかでも毅然として立つ。私が洞察力のある研修生のひとりと交わした次の問答を読んで、意味するところを受け容れてほしいー
Q自分に受け容れる用意があるかないか、どうすればわたしに分りましょうか?
Aあなたが、まったく惨めな大失敗に、じゅうぶん素直に号泣する気持でいるときは、受け容れる用意のあることが自分でも分るでしょう。ただし、隠れて泣かなくてはなりません、人前で泣いてはなりません。
Q わたしは自分の内部にある特別な抵抗があるのを発見したとじています。自分が誤っているといわれると防衛的になるのです。なぜでしょう?
Aあなたが誤っているというのが本当か、あるいは本当でないか、どちらかですね。もし感情に動かされずに、あなたが誤っていることが分った場合はあなたに問題はなく、自分を弁護したりはしないでしょう。しかしあなたが間違っていると分っているのに、なおかつ、それを否認するとすれば、あなた自身の危い立場を弁護しなければならないでしょう。この葛藤は、あなたが間違っていたことが原因ではなくて、あなたがりの立場を弁護するから起こるのです。ですから、自分が誤っていることを恐れてはいけない。誤りに気づくことが、この世界で正しくあれる確一の道だからです。
Qでもすることが多すぎて・・・・・・
Aしなければならないことはやれます。それを大袈裟にしないことです。あなたの内部に矯正されなければならないなにかがある、とのことにまず気づきなさい、それが第一歩です。あなたの場合、それがパーフェクトな出発です。
自分そのものが自分に対して問題を起としているのだと感じても、それは無視してしまうのだ。あなた自身が問題であるなしにかかわらず、あなたの内部にはいつもかすかな閃光を発しつづけているなにものかが在るのだからである。エマソンがとう断言している1
あらゆる人の知的な心には、そこへ通じる決して閉ざされることのないドアがある、このドアから造物主は入ってくる。そして絶対真理の探究者であるところの知性が、あるいは絶対善の熱愛者であるところの精神が、そこでは黙ってはいない・•・・•・これらの高次の力がひとつ囁くだけで、われわれはこの俗世間の悪夢との無益な闘いから目覚めるのである。
あなたが真実を選ぶとき、真実はあなたを選ぶのだ。
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