1-②スーパーマインドの実際的な力
<スーパーマインドの実際的な力>(P21〜✔︎)
望まない出来事が起こらなくなる
スーパーマインドについてのこの秘教的な知識は果(は)して現代人にとって実際的なものであろうか?
もし人類がスーパーマインドを見ることさえできたら、それは際限(さいげん)のない人間的フラストレーションのシャングルを払う唯一の力となろう。科学、心理学、社会計画、平和会議、道徳システム、宗教、哲学と、人間はありとあらゆる方法を試みた。だが依然(いぜん)として昏迷(こんめい)と混乱は続いている。人類が失敗したのは、秘教的知識の活用を真摯(しんし)に試みなかったからである。しかし、闘争に明(あ)け暮(く)れるこの世界で、彼自身のための平和を求める人々それぞれの個人はりっぱにこの秘教的知識にチャレンジし、これをものにすることができる。
秘教的知識が実際的かどうかを判断するため、次の諸事実を吟味(ぎんみ)してみようー
精神の上昇がもたらす最初の成果のひとつは、望まない出来事が起こらなくなるということである。
なぜか?外的状況はわれわれの内的状態から現(あら)われてくるものだからである。それゆえ、われわれが自分自身のレベルを上げるにつれ、外部的な問題は剥(は)がれ落ちていく。われわれはもはや外部的な問題の犠牲とはならない。外部状況を掌握(しょうあく)するとは、ただひとつのことを意味する。つまりあなたの内的な自己を掌握するということである。
通常の心からスーパーマインドへ上昇した人には恐怖(きょうふ)の忍(しの)びこむすきがない。子どもが夜、揺(ゆ)れる樹木を亡霊(ぼうれい)と勘違(かんちが)いして家へ逃(に)げて帰る。だがその子どももこの幻想(げんそう)を払うことができれば、樹を樹と見て、逃げることはやめる。間違った外観を誤(あやま)りだと分(わ)かれば、われわれは何を見ようと平気でいられる。恐怖がないからだ。
永遠(えいえん)なるものの至福(しふく)をみいだしたものはいかなる方角(ほうがく)からも恐れをもたない。(タイッティリーヤ・ウパニシャッド)
われわれのちっぽけな欲望(よくぼう)や要求(ようきゅう)をはるかに超えたところにもう一つの世界が存在することを知ることは驚異(きょうい)であり歓(よろこ)びである。発見とともに、永(なが)く求めつづけてきた大いなる安堵(あんど)が与えられる。それは、多くの人が、彼の根本的(こんぽんてき)なジレンマと問題は、彼の棲(す)んでいる心的世界がその原因ではなかろうかと、漠然(ばくぜん)とではあるが疑(うたが)っていたからである。われわれは、他の人々がわれわれに突(つ)きつけた苛酷(かこく)な世界が問題の原因であると考えてきた。だがいま、目が覚(さ)めた。われわれ自身の態度がこの苛酷な世界を創(つく)りだしたのだと、いま分った。この洞察(どうさつ)とともに、古(ふる)びた世界を取り壊(こわ)す新しい力が湧(わ)いてきた。その廃墟(はいきょ)の上にわれわれは新しい世界を建てたのである。
人生をエンジョイすることをためらうべきではない。重苦(おもくる)しい想念(そうねん)にサヨナラをいえ。万事を明(あか)るく気易(きやす)い智慧(ちけい)で受けとれ。われわれは、よい印象を与えよう、何かを得よう、なにか一廉(ひとかど)のものにならなければと考えるから、重苦しくなるのだ。社会があなたにどう告げ、どう命じようと、世間の人人の見た眼(め)の誰かになどなる必要はみじんもない。あなたのならなければならない真の義務(ぎむ)は、真実の人間となること、これひとつである。このことを全身全霊(ぜんしんぜんれい)をもって分ろう、感じとろうと努(つと)めてごらんなさい。そうすれば、世界をあなたの遊(あそ)び場とすることはどういう意味かが納得(なっとく)できよう。
秘教的な知識は実際的だろうか?習慣的(しゅうかんてき)な心がはまりこんでいる、まったく非実際的な諸観念(しょかんねん)を見抜(みぬ)くとき、あなたは秘教的な知識の実際的な所以(ゆえん)が分るであろう。
あなたが熱烈(ねつれつ)に一度行ってみたいと思っていたある国の国境(こっきょう)にづいたとしよう。国境線に近づくと阻(はば)まれる。道路に横木(よこぎ)が渡してあり、監視員(かんしいん)があなたのパスポートを要求し、さまざまな規則(きそく)があなたの入国を邪魔しよう。
あなたの旅行がどうして潰(つぶ)されるか?それは政治的(せいじてき)な世界の、人間がつくった規制(きせい)と境界線(きょうかいせん)とである。しかし、内的自己の国へ入っていくのにそのような障壁(しょうへき)はない。あるように見えるだけで、実際にはなにもない。われわれが目覚(めざ)めていない間に身につけた人為的(じんいてき)なアイディアや制限規則は棄(す)て去ることができる。これさえ分れば、だれでも彼自身の内なるすばらしい新しい国土(こくど)へ入ることができるのである。
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