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5-⑧ 自己変革はいかにして始まるか

<自己変革はいかにして始まるか>

-人間は真に欲する道を選んではいない

有利な変化への径はある。「幸福になるためにわたしは何を得たらよいか?」と問うてはならない。

「不幸であることをやめるためには何を楽てたらよいだろうか?」と問わなければならないのだ。

破壊的なもの、破滅へつうじるものは何構わず楽ててよい。たとえば、内的にはまったく同じでいるくせに、明日は今日とは違うだろうといった誤った考えは薬てるがよい。

楽しみであり、なくてはならぬものであるかのごとく装っている無用無益な活動はやめて差し支えない。ヘンリー・デーヴィッド・ソローは古典的な名言を洩らしている、ほとんどの人は静かな絶望の人生を送っている、と。だが、誰にも何もしてやらない公共活動みたいなものに関わって、騒々しい絶望の人生を送っている人も多いのだ。

他の人々がその利己的な目的のためにあなたを利用しようとする、それを許すのもやめたがいい。

彼らがそうするのは、あなたがオーケーをだすからだ。意識的にはあなたはそんなことを許していないのかもしれない。しかし理解できないため、あなたはついついあなた自身が傷つけられるような手口に屈服してしまう。ほんとうは弱い人から餌食にされ、最後には捨てられてしまう惨めさから逃れる方法はひとつしかない。それには、人間の本性を実際のとおりに見ることだ。表面そう見えるからといってそう思ってはいけない。

ある農夫が、雨が降って、野菜類が成長し、変化し、新鮮なものになって欲しいと望んでいるとしよう。だが彼は、芽のでかかっている小さな苗の群のすきますきまに、大小さまざまなバケツを置いていたのだった。これでは慈雨がその自然の落ちつき先である大地へ達しないことは明らかだ。受容性のないところには変化はないのである。

第3章で見たように、自己変革への魔法の鍵は、より高いアイディアに対する心の受容性である。

人間は彼らの選ぶ行き方で生きる。だが彼らが欲する行き方では生きていない。両者の間には大変な差がある。われわれは、われわれの獲得された条、習慣、趣味の観点から選ぶ。われわれがこの友人あの意見を選ぶのは、それらがわれわれの、あらかじめ考えられた、だがふつう間違っている、最善の行き方と調子が合うからである。それがわれわれを何度歎きへまっすぐに導こうとも、われわれはそれらを悪知恵のある裏切り者とは見ないのである。それで、われわれは依然として、心的な眠りのなかで躓くのである。

ところが、人は、彼が選ぶものとはまったく違ったなにものかを、根本的には欲している。彼は調和、新鮮さ、平和を欲している。それでいて彼は眠っているから、ついまっすぐ先へ進んでしまい、彼の選んだ道がとれらをもたらしてくれると思い込む。ところが絶対にもたらしてくれるはずはないのだ。彼の飢えは残る。彼の飢えを、彼の選んだ、いわば人為的な食物で満足させようといくら試みても徒労に終る。

さて、こうした状況がどう扱われたか、次の問答をみてほしいー

Q わたし自身を変える方法を示して下さい。

A自己変革は、あなたが正直に、真実を欲望よりも優先させた瞬間に始まります。あなたは社会的な名声を望みますか?名声など空虚なものだという真実を直視しなさい。あなたは、その心のなかに、他の誰かがあなたを虐めている、もしくは不当に扱っている心的フィルムを映写したいですか?心的フィルムが破壊的なものだという事実を悟りなさい。あなたは宗教や哲学の教理から安定性を得たいと望みますか?人間のつくった教義など、どれだってあなたを救うことができないことを悟りなさい。

Q そうすればわたしは変った人間になるとおっしゃるんですか?

A個人的な欲望よりも宇宙真理を大切にすることです。そうすればあなたのためになるある大きな力が動きだします。あなたはまず飛行機へ自分を乗せなければならない、そうして初めて飛行機は、あなたを自然に上空へとつれていってくれるのです。