11-⑦ 他人の支配からの自由
<他人の支配からの自由>(P275〜)
-自由な人は彼自身が法則である
私の講義後の質疑応答から抜いた次の問答は、ネガティブな支配から自由になる方法を示す-
Q他の人々からの自由とはなにを意味するのでしょうか、ご説明をおねがいします。
Aごく簡単なことです。あなたは、あなたが誰かから何かをしてもらいたい、あるいはあなたが自己満足を誰かに頼っているという場合、あなたはその人に縛られています。あなたが誰からも何も求めない場合、あなたは誰からも自由です。スーパーマインドの原則は、他人は誰もあなたに本当の豊かさを与えることはできない、本当の豊かさはあなた自身の内部から来なければならない、というととです。これがはっきりと理解されれば、あなたの人間関係は正しくなります。
Qわたしは、わたしより強そうな人々にはすぐ弱気になって屈服してしまうのです、自分ではすごくイヤなのですけれど。わたしは、怒っている人が特にこわいのです。
A怒っている人は強くはないのです、弱いのです。目覚めていない人に、あなたに対して怒りを爆発させるとか当てこすりを浴びせるとかの機会を与えてはいけません。あなたが弱そうに見えるとき、あるいは彼が、あなたが彼から何かを欲しがっていると感じるとき、そうしたときはいつもあなたは彼のワナに陥りがちです。人間にある動物本能は常に誰かが攻撃してこないかと見張りをしています。攻撃の的になることは拒否しなさい。
Q ある人はわたしに対して無礼な振舞いをけっしてやめようとしません。
Aある人が引き続きあなたに対して失礼を働くとすれば、それはあなたが、無意識的にではあるが、なにか彼の悪い振舞いに対して褒美を与えているからです。褒美を与えることになるというのは、あなた自身の内部にある、ある誤った欲求のせいです。との誤った飲求を見詰めるように努めなさい。それが無くなると、あなたはその美を撤回するようになります。撤回するとあなたの内部に一種の危機が生じるでしょう。それは相手の人があなたを非難し、たぶんあなたを突き放すからでしょう。ということは、あなたはそこで、独りきりで立つだけの勇気をもたなければならないというととです。こうして遂には、あなたの自由のためにはとの危機が必要だということが悟れるでしょう。
たとえ誰かがあなたを拒絶したとしても、あなたの内的なものがこの状況を理解すれば、それであなたは自由のままでいることができる。しかしもしあなたが誰かを拒絶したとしたら、あなたは心理的に彼に鎖でつながれることになる。われわれはある人を、われわれの想像された自己感覚への脅威であると感じるとき、必ずといっていいほど、彼を拒絶する。しかしこの質の自己が溜されてしまえば、誰も脅威とはならなくなる。この境地であなたは、人々の間に好きなように立ち回り、あるいは去り、彼らがあなたをどう扱おうと、いささかも傷つけられることはない。
悟りに達した人が享受しているひとつの自由は、彼自身のルールに従って生きる自由ということである。彼の行動はすべて彼のスーパーマインドから発してくるので、真に道徳的であり、温厚そのものであり、純粋に隣み深い。彼は自分の好きなように振舞う。不自然な欲望からの突きあげの次隷となっている人々については到底とうしたことはいえない。囚われた心はそれみずからの偉さという幻想の意のままとなっており、かくてまた幻想のご褒美を受ける。
また、あなた自身という存在のもつ自然法則に従って生きるときは、コマンとある愚かしい人為的諸法則の圧力からは自由である。自由な人は彼自身が法則である。だが彼自身の法則は、対社会的反抗とか傲慢な態度とかを特徴とする質物の独立不羈ではない。それは静かであり、まったく目につかず、謙虚そのものである。人が霊的な真議を知っており、ことさらそれについて、論う(あげつらう)必要もないとき、彼は真に知っているのである。
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