3-④ 秘教の珠玉は問うことにある
<秘教の珠玉は問うことにある>
われわれは真の教師に傾聴するとき賢くなる。ペルシャの詩人サアディーが言ったように、賢人が愚者どもと交わることを嫌うその百倍も、愚者たちは賢人と会うことをいやがることを知るべきだ。
あなたが、短気な友人とハイウェーを、たとえばあるレストランを目指してドライブしていたとしよう。あなたは道を知っているが運転しているその友人は道を知らない。あなたが道を教えようとすると、友人は知っていると主張して不機嫌になり、聞こうとしない。十回も二十回も間違ったターンを繰りかえし、彼はなおもあなたの導きを拒みつづける。
あなたはそんなときどうする?その友人だけが彼の問題を解決できるのだと悟り、ただ賢明に沈黙を守るべきである。友人はその度重なる誤りで、本当は道を知らないと遂に認めざるを得なくなり、彼はあなたの導きに耳をかたむけるだろう!そうあなたは望むだけでいい。そのときのあなたの気持ちはどうか?心は澄んで寛いでいよう。けっきよく、あなたは途方にくれてはいないのだ。
霊的な生では万事がこの通りだ。真実はそれみずからを人に強制し、従わせることはできないし、またそうしようともしない。なぜなら人の不自然な部分はいつも、真実を攻撃し、歪曲するからである。われわれは結局、われわれが実際に欲するものしか得ることはできない。われわれがたんに欲しいと言う、あるいは思う、ものは決して得られないのである。だからとそ、真の数師は、求道者からまず求めてこないかぎり、秘教の宝石は与えないのである。次にこの点に関する深い意味合いの問答を示そうー
Q 多くの人々が宗教や哲学を勉強していますが、それでいて彼らがすこしでも幸せになったようには見えません。なぜ彼らの勉強が報いられないのでしょうか?
|まったくの悲劇です。私は毎日そういう例に出会っています。人々は、人生に関して自分にその答えを受容できる能かがないのに、それにはすとしも気づかないで、やたらに人生についての質問をするのです。そして、本当の答えを聞いても結局、それを掴み損い、彼等は答えはないのだと、寂しく思いこんでしまう。受容性のないのが彼等の悲劇なのです。
Qあなたは、わたしが他人のアイディアに愚かに従っていることを気づかせて下さいました。この依存をどうしたら打破できるでしょうか?
Aそれには、あなたの前に差しだされたアイディアのひとつひとつに思いきってチャレンジしてみなければなりません。たとえ世界中の人々が二たす二は五だと肩じても、あなたは答えは四だと知っている、そして勇敢にそれを主張しなければなりません。
Q 生のミステリーにたいする答えはほんとうにあるものなのでしょうか?
Aもちろんあります。
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