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4-④ 苦しみの謎を解く

<苦しみの謎を解く>

-涙のみなもとは心である

どんなかたちのものにしろ苦しみの意味するところはひとつである!われわれが宇宙的調和から外れているということである。調和するようになれば、苦しみはやね。

道路へ駆けだそうとしてもがく幼児は平手打ちにされる。体罰以外の言語が分らないからだ。両親は子どもを愛しているから、わざと子どもの心を傷つけようとして平手打ちにするのではない。子どもが大きくなって理解が進めば、痛い目に遭わなくともすむようになる。

人間の状況もとれである。苦しみは、現実という道路へ飛びだすことの危険をわれわれに告げているのである。しかし、頑な小児的おとなは、自分がなんでもいちばんよく知っていると思い上がっているから、教訓を拒絶し、傷つけられる。毎日毎日、来る年も来る年もそうである。しかし彼のうけた霊的な体職を検討するならば、彼は体罰が不必要な境地へ成長できる。涙のみなもとは心である。心そのものについての自己中心的な概念を薬てることを拒む心である。

痛みから自由になるには痛みの末端まで行かなくてはならない。痛みに抵抗してはならない。怒ってはならない。不幸であることを数き、不幸となってはならない。かくすれば、苦しみは大きな啓示となる。苦しみは、われわれが借りかかっていたぺりの支柱を看破させてくれる。支柱を取り除くと真実がやってきてわれわれを完全に支えてくれる。あらゆることが、われわれがその苦痛を賢く使うか否かに懸っている。

最初にとるべき賢明な行為は、われわれがいかに不幸かを意識的に自覚することである。苦しみは、ほとんどの人々にとって、九十九パーセント無意識的なものである。彼らは地下の業火を見ない。

ときどき火山のように噴出するので気づくだけである。たとえば癇癪ということを取り上げてみよう。人は、怒るたびに苦しむ、だが彼はそれを痛みと見るだろうか?見ないのだ。彼は自分の怒りにプライドすら抱くかもしれない。怒りをあらわすのは強さのしるしと思っているのだ。

私はあなたに、決定的な突破口のみつけ方を教えよう。あなたをひどく困らせていることを取ってみよう。なんでもいい、あなたの人生にかかわっている不倫快な石介者、ある種の心、問題が解決できないための苦悶、その他なんでもいい。

それを充分に意識する。この困窮状態を他の一切から選り分けて、それだけを科学的な好奇心をもって観る。それがいかにあなたを苦しめているか、それがいかにあなたの感じたくないことを感じさせるか、を見てみる。するとあなたにどういう反応が現われるか、この反応に注意を向けて見守るのである。特に、この苦悩がどんなふうにあなたから気易さを奪っているかに注意を向けるのである。

そこで、あなたの苦悶へ反旗を翻してみる。他の人々がするように、苦悶の原因と思われるものへ反抗するのではなく、あなたの内部の苦悶そのものへ反抗を試みるのだ。これは大変肝要な点である。

ためらうことなくとう官言する、「おれはとんな苦しみにとりつかれ、飽きあきした、いやになった。おれは行けるところまで行った。もうこれには我慢できない。おれは忍耐することはしない、忍耐しないんだ。これで終りにするんだ」と。

もしなんなら、これについて感情をたぎらせてもよい。しかしとにかく本気になって、このとおり宣言してみるのだ。それが苦闘の解消のはじまりとなる。

皆しみから遊れようとしてはならない。苦しみは解消できるのだ。それゆえわれわれはいま、苦痛の解消を妨げる大きな誤りを探索しなければならない。