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6-⑦ スーフィ教実際的な智慧

<スーフィ教の実際的な智慧)

どんな神秘思想も同じことを教えている

あまり遠くまで手を伸ばすことはしないで、自分にできる小さなことだけをする。それであなたは、霊的なアーティストとしての技倆を示すことになる。たぶんあなたはまだ、手を伸ばしすぎる習癖を破れないでいる、だがその心的な原因を調べることはできる。たぶんあなたはなぜ次から次へと挫折感にぶつかるのか理解できないだろうが、出来事を失敗・挫折とレッテルを貼ることが、挫折感を起とすのだということは分ろう。あなたはまだ自己非難をやめることができないかもしれない。しかし、スーパーマインドの教えは吸収できる。

いつでも、あなたのできるなにかはある。だからそれに努力を集中するとよい。小さな仕事、りっぱに遂行された小さな仕事は、もうすこし大きな成功があなたにできることを証明している。水の入ったボウルへコップ一杯の水を加えたら全体の水位はあがる。同じように、たとえばさらりとしたカ

まないやり方がおどろくほど効果的だというような、小さな洞察がひとつ得られると、弾んだように、他のいろいろのことが理解されていく。

こうして真理への自が増していくと、見わたすかぎり、ダイヤモンドがころがっている中へ放された人のように、あなたの探究は明るくなり、活気にみちてくる。スーパーマインドが差しだすあらゆるものを受けようとする。

このあたりで多くの研修者は、昔からのあらゆる神秘思想家たちの教説を比較しはじめる。ところが驚くなかれ、どの神愁思想家も、本質的には同じととを教えているのである!あなたの内部にすでに存在いている至高の微習い、嬉々といてあなたのその手を差しのべなさいと。

スーフィ教の中には、宗教哲学上の真理が見出される。スーフィという語は、アラビア語のSufi

という毛織物を意味する単語からきており、初期のスーフィ教徒たちのまとっていた羊毛の皮衣を指している。スーフィ教は、イスラム教の一派として十世紀に興った神秘主義の哲学で、特にペルシ+、インドで勢力を得た。スーフィ数は愛、心の光明、霊魂の平和を強く説く。

最初のスーフィ教大導師はハッラージュで、この人は宗教の善を糾弾し、人々にみずから真理を発見せよと叫んで説き、捕えられ処刑された。その後、アル・ガザーリーの神秘主義的教説がでて、この人がスーフィ派哲学の主峰となった。だが、あらゆるスーフィ教徒のなかで最も有名なのはオマル・ハイヤームである。彼の詩『ルバイヤート』は美の最高峰へ達している。

次の五つは、スーフィ教の哲学文献から拾った代表的な珠玉である。他の諸宗教の思想とちょっと比較しただけでも、それらの教旨がすべて根本的には同一であることが分ろうし一、にがいものも愛によって甘くなる。

二、人間行為の理想は、暗黒の汚れから解放されることである。

三、世界を去れ、そして次自身のための世界となれ。

四、もし次が自己への心労により鎖につながれているならば、同時に世界は汝にとっての覆衣となろう。(訳注。自分のことばかりにクヨクヨしていると、その苦しみからの逃避として、騒々しい世間に眼がいき、世間をベールにして、自己が隠されてしまい、自己洞察ができなくなる)

五、あらゆる人のうちに財宝がある。