7-⑨ 難しい人々をどう扱うか
<難しい人々をどう扱うか>
ー射かけられた攻撃の矢からはあなたは安全である
敵対的な人々は誰に対しても何に対しても攻撃する、特に誰かのうちに弱さを発見するときはそうだ。とのととを理解していると助けになる。彼らはやたらに矢を放つ。それがあなたに当ったとしても、まったくの偶然なのである。あなたに的が絞られていたわけではない。敵対性はできるだけたくさん的をもつ必要があるのだ。
あなたは的でいることはない。敵意に対しては立ち上がればいい。ただし攻撃的にではなく、射かけられた攻撃の矢から、あなた自身は完全に安全なのだという悟りをもって立ち上がるのである。敵対的な人は弱い人なのだ。あなたを彼の神経症的な欲求のために利用できないと分ると、彼はただちに弓と矢を下げてしまう。
あなたが難しい人の要求に従えば従うだけ、彼の自己中心癖をあなたが増大させることになる。彼のエゴティズムを指えば培うほど、あなたは彼をより恐ろしい人間にしてしまう。それだけではない、彼の要求はますます拡がってくる。あなたは、弱い人が慈善を施されると感謝する、とほんとうに思っているのか?われわれはお人好しであってはならない。人間のエゴは感謝などとは無縁なのだ。エゴは怒って、もっと強要を募らせるだけだ。弱い人々に奉仕するのは無益でもあり不道徳でもある。なぜなら、弱い人々に奉仕することで、あなたは彼らの破滅を助けることになるからだ。次の会話では、この点をはっきりとさせる幾つかの論拠がみられる-
Qおっしゃるとおりです。ほんとに、なぜ人々はこうまで恩知らずなのでしょう?何かをしてやると、もっともっととせびってきます。
A人々が他人から貰う贈物に感謝しないのは、それらが彼らのほんとうに欲しがっているものではないからです。贈物は一時的なスリルは与えますが、それはすぐに褪せてしまい、浅薄なスリルを、もっともっとと欲しがる欲望をつくりだすだけです。たとえば真の知識といった宇宙的なギフトだけが、感謝の念を起とさせ得るのです。
Q他の人々から受ける不愉快な激情をどんなふうに扱えばいいのでしょうか?
A微情を理解しなさい。誰かが微怒したら、それを彼のまやかしの自己が爆発したんだと受けとりなさい。微しく怒っている人は、現実との関連がない誤った役割を実際に演じます。彼は、人生は彼の要求に従うべきだという不健全な信条をもっているのです。怒った男を理解しなさい、しかし決して甘やかしてはいけません。甘やかせば悪くさせるだけです。
Qわたくしはしばしば自分の人生がぜんぜん自分のものではなく、なにか不可視の力に従属しているように感じます。
A あなた自身を取戻しなさい。あなたの生は事実においてあなたのものであり、あなたの獲得された習慣や社会の要求や、ましてや急げ急げと呼ぶ苛立たしい時間感覚に従属しているのではありません。
Qわたくしはどうしても分りません。ある人のことをとても大事にしているのですが、彼はときどき、ひどく残酷になるんです。
Aあなたがペットの犬をとても可愛がっているとしても、ペットは病気のときはあなたに咬みつきますよ。
たとえそのために交友関係が断たれても、あなたの真にあるがままに行動することである。誰かを支配しよう、押さえておこう、かちとろうとして、あなた自身を抑圧してはならない。あなたがリアルでないとき、あなたの受ける報いもまたリアルではない。別の言い方をすれば、他人があなたにとう振舞えと望んでいるとあなたが思うようには決して振舞ってはならない。あなたが振舞わなければならぬとおりに振舞うべきだ。あなたがほんとうに為し、あるいは持たなければならぬもので、他人あるいは習俗に対する従順さを要求するというものは絶対にないのである。
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