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7-④ 他の人々に依存するな

<他の人々に依存するな>

-あなたはあなた自身と共にある

着実な自己観察により、われわれは社会のそれとない要求に従って生きるのと、われわれ自身の中心から生きるのとの違いを見ることができる。われわれの感じる不快感はすべて、われわれにこの違いを示そうと努めているのだといっていい。

なにものをも乞うてはならない。誰をも追い求めてはならない。あなた自身をトレードすることを拒否せよ。あなたのいるその場所にとどまれ。自分のリビングルームに坐っていて、「家へ急がなければ」と考えている人のようであってはならない。あなたは、工場にいようと農場にいようと、いま現在にいるのである、あなたのまさにいるところにいるのである。あなたはあなた自身と共にいるのだ。そしてこれだけがあなたに必要なすべてである、もしあなたにこのことが分るなら。

われわれは、他の人々と上手につきあうには、彼らを引き寄せることも薬てることもできなければならない。他人とのつき合いがどうしても要るという強迫状態は、自己支配の穴如を示すものだ。それは、われわれが必要だと思うなにかを獲得するために、われわれ自身を他の人々の意のままに任せることである。もしわれわれが、どのようなかたちにせよ、こうした人間的弱みを利用しようとはしない人に出会ったとしたら、われわれは百万人のなかに稀有な一人を見つけたのだといっていい。

神経質な人もしくは不愉快な人とは決して彼の条件で取り引きしてはならない。あなたの条件で取り引きするか、でなかったら全然取り引きしないことだ。これは、外部世界ではその人との人間関係は継続するが、内的世界に関するかぎり、その人との関係を絶つということだ。あなたの内的な完全さを他人のために犠牲にしてはならない。いついかなるときも、いかなる状況においても、いかなる人のためにも。私が質問に答えた、次の真理を心にとめてほしいー

Q なぜわたしは他の人々と気楽につき合えないのでしょうか?

A それはあなたが、あなた自身を喜ばせようとしないで、彼らを喜ばせようと振る舞うからそうなるのです。他人を喜ばせようとするのは、あなたの不安に根がある。あなたは他の人々からなにかの恩恵が欲しいのに、それを得ることができないのではないかと恐れ、それでその人々を喜ばせようと努める。人々が人々から得たいと思うものって、たとえば何でしょうか、例をあげてごらんなさい。

Qああ、それは際限なくありますよ。金、セックス、友情、承認、賞讃、受けいれてもらうこと、安定、みんなそうです。しかしこうしたものを望むことは間違いですか?

Aそうしたものを得るためにあなた自身を犠牲にするのが間違いだというのです。そうした自己犠牲は自己嫌悪を生み、苦痛と敵対心を生みます。他人の精神的支配下で生きるととの苦悶を理解しようと努めてごらんなさい。他の人の承認、その人からの手紙、あるいはその人の現われるのを待っている焦立たしさを考えてごらんなさい。そんなふうにして生きたいとはあなたも思わないでしょう。それとはまったく違った生き方があるのです。

フランソワ・フェノロンは、あなたの嫌いな人々への尊敬をつづけるためにどれだけの苦しみを耐えなければならぬというのか?と問うて、人間の陥っている状況に鋭い洞察を示した!

あなたの友情の多くがぜんぜん友情などではないということに気づかなければならない。あなたがその内約な宝をすぐに壊れるオモチャと取り引きしていると悟らなければならない。このような認識があればあなたはもはや他の人々が投滑にあなたから要求するものを与えなくなる。するとその人達はあなたを楽てる。こういう人達はいつもそうだ。あなたから得られるだけのものを捲きあげて、彼らは去っていく。

あなたの務めは、あなたの孤独からくる一時的な不安と動揺に雄々しく耐えることだ。辛抱づよくあれ、梅むな。あなたは正しい必要なことをしたのだ。松葉杖を棄てると、最初はよろめくかも知れない。だが万事はなんということもないのだ。あなたの孤独とともに静かに耐えていく、するとついに孤独はあなたにその至高の秘密を告げる。必ず告げる。