2-⑤ 自己探究に成功する秘訣
<自己探求に成功する秘訣>(P51〜)
親しみ慣れたものに対する懐かしさ
わたしたちは正しい質問をすることを学ばねばならない。たとえば、「なぜわたしはこんなふうに行動するのでしょうか?」、また「どうすれば、わたしに自然に具(そな)わっている力を浪費することがやめられましょうか?」などが正しい質問であって、目的は自己発展へむけられている。間違った質問の例をあげれば、たとえばある人はこんな訊き方をする、「わたしは近づいてくる出来事を思い思って神経質になります。そうした状況でどう行動すべきなのでしょうか?」
われわれは、間違ったアイディアや相互矛盾する欲望でいっぱいの心で生きているかぎり、どうすれば正しい行為にでられるか、決して知ることができない。そうした心は常に苛立っており不安定だからである。しかしもしスーパーマインドから発して生きるならば、あらゆる状況でいかに行なうかを的確に知ることとなる。シェリ・ラーマクリシュナ(ヒンズー教の聖者一八三六〜八六)の言うように、黄金はあなたがどこに置こうと黄金なのである。スーパーマインド思考はまずわれわれを不安な状況に近づけないようにしてくれる。
あなた自身の真の利益のために行なうことを学べ。勝利の人生は壁に囲まれた庭園に比較される。
美麗(びれい)と芳香はそこにある、だがそれらは獲(か)ちとられなければならない。公衆のための広い門は設けられていない。そうだったら庭園はたんに好奇心から近づいてくる人達や庭園の豪華さを真に貴(とうと)ぶことのできない人達でたちまちみつけられてしまうからである。この壁は、その人みずからの力で攀(よ)じのぼらなければならない。それが求道者の真摯さのテストになる。その求道者が果して、この庭園に入ろうとあらゆる力をふりしぼるかどうか?もしそれだけの誠実さと熱情があれば、彼の作業が一見どれほど無駄な骨折りに見えようとも、いくら失敗を重ねようとも、必ずや何度も何度も戻って来て、壁へ挑むであろう。そして彼はあらゆる無用無益な持ちものを棄てて身軽になり、壁を攀じのぼり、首尾よくこれを超えるであろう。
ただ求道者にとって大きな難題は、真に頼るべきものと贋(にせ)のそれとを識別することがまず不可能だという点である。彼は途方に暮れ、ひとつの思考方法ないし教師から他へとふらつきながら頼り歩き、あげくは無益なあるいは危険な数説の餌食にされてしまう場合が多いのである。彼の希望はいっときは意気軒昂(けんこう)という丘陵(きゅうりょう)までは高められる。だがやがて彼は再び転落を繰りかえし、更にうんざりするような探索に旅立たなければならない。
だが彼はみずからを助けることができる。ひとつには、彼はいまや本物と贋物とを識別する判断力が自分には穴けていることに目覚める。彼は、自分の不安と焦りとから、急速な救いを約束する教理ならなんでも受けいれたい気持になっていることに、いまはっきりと気づいている。彼はいまや、心の澄明(ちょうめい)よりも情動的なスリルを誤って選ぼうとしていることに気づく。彼自身の絶望状態を観ることによって、彼は自分自身に巨大な恩恵をもたらすひとつの事実を教えこむことができたのだ。彼自身のなかに彼は弱さを発見したということ、これを足場にして彼は真の強さを発見するために進むことができた。
一見して遅々(ちち)たるあなたの進歩に焦ってはならない。いま走れる以上に速く駆けようとしてはいけない。あなたがいま勉強し、反省し、そして努力しているならば、あなたは、気づいていようといまいと、着実に進歩しているのだ。暗い夜路(よみち)を行く旅行者も依然として前へ進んでいるのである。ある日、どこかで、とつぜんに、あらゆるものが展けてくる、ちょうど薔薇の蕾が自然に開いてくるように。
わたしたちが徐々にわが家へ近づくにつれ、家が見えてくる。長いこと訪ねたことのなかった故郷の町へいってみれば、ああこれがあの街並みかと感じられるように、あらゆるものについてなにかしら漠然と親しみ慣れたものに接する懐かしさがこみあげてくる。われわれは、いつも行きつけていたところに、いま改めて近いことを感じとる。ジョン・グリーンリーフ・ホイッティア(アメリカの詩人 一八〇七〜九二)は『ひとつの神秘』という詩のなかでこの感情をみごとに表現している-
わたしを導く記憶の手がかりはなにもなかった
でもあちこちの道をわたしはよく知っていた
親しみなれた事物という感情が一足ごとに高まっていった
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