9-⑦ 孤独から救われるには
<孤独から救われるには>
独りという状態にレッテルを貼らないこと
誰も彼も口にする悲しい告白のなかで、次のようなものほど哀れな言葉はない!「まったくの孤独なんです、とても耐えられません。それはもう、しょっちゅう衝きあげてくる、いたたまれない孤独感です」。中にはこうつけ加える人もいる、「わたしがどうしようと、だれも気にかけてくれる人はいないみたいなんです」
寂しい人々はふつう、新しい友達をつくるとか、新しいなにかの活動をするとかの方向へ切り替えよと助言される。ただしこのアドバイスは、彼ら自身の隔離感覚と正面から対決したことのない人々のそれである。金持ちにとっては、貧しい人に、金だけがすべてではありませんよと言ってやるのは易しい。
たしかに誰にとっても、バランスのとれた生を送るためには友人や活動などは有益な要因ではある。われわれはただ、それらは孤独という悩みの真の解決にはならない、解決の力はないと言っているのである。それらは、あなたを一時的に孤独感の痛みから気を逸らしてくれるだけである。あなたが自分の心へ戻ってくると、そしていつでもあなたはそこへ帰らざるを得ないのだが、再び孤独はあなたを苦しめる、そうではないのか?では、どうすればいいか。ヒントは、孤独は心にあるのであって、それ以外にあるのではないということだ。ここがわれわれの、スーパーマインド的解決への出発点である。
あなたは独りだ。何も起こらない。電話は鳴らないし、郵便配達夫は素通りしてしまう。あなた自身だけがあなたの仲間でいる。さてここで、この独りきりだという状態を、あなたの心が不注意にそうしてしまわないかぎり、自動的に「孤独」と翻訳することはできない。たとえ独りでいても、あなたがその無意識的な心がそれに孤独というレッテルを貼るのを許さないならば、孤立、隔離といった感情は起こるはずがないのだ。この感情を活性化してトラブルを起こさせるのは、無意識的なレッテル貼りないし命名なのである。
独りでいることにレッテルを貼らないこと、これで独りきりの状態は純粋に保たれ、穢(けが)されることはなくなる。このことを証明するには、寂しく感じたらいつでもこのテストをしてみるとよい。そして結局、最後にはスーパーマインド思考が孤独感情を絶対不可能にしてくれる。
もしあなたが白いシーツに身を包んだ人の姿を見て、それを幽霊だなどとはよばず、たんに白いシーツの人影とだけ見るならば、別に怖わくはない。名前さえつけなければ、「幽霊」という語にまつわる恐怖の観念連合は起ころうはずがないのである。
孤独感は、他の人々に囲まれていてさえしつこく自己主張する、なぜならわれわれはそれを恐ろしいと称(よ)び、この恐ろしさから逃げだそうとするからである。しかし、孤独感から逃げられるはずはない、なぜなら、孤独なるものはもともと存在しないのだから。在るのはただ、誤った反応が創りだした幻想だけなのだ。幻想から逃げられないのは、そこにいない虎の襲撃から逃げることができないのと同じである。逃げられはしないが、振り返って、虎などはいないと知ることはできる。そこであなたが無意味な逃走などをやめるだろうことはもちろんである。
スピノザはこれを理解して、書いているー
・・・・・わたしは、わたしに不安や恐れを起こさせた事物はすべて、それ自体ひとつも善いとか悪いとかはないのだと分った。ただわたしの心がそれらから動揺をうけたというだけのことである・・・・・・
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