Skip to main content

6-⑩ 秘教のすばらしい事実

<秘教のすばらしい事実)

-なにも持たないことの意味

スーパー・マーケットへ入ると、金があるだけなんでもどっさり買うことができる。百万ドルだせば、店にあるストック全部を運び去ることもできよう。同じように、金さえあれば、霊的なマーケットを全部買い占められる。この場合の金とは何であろうか?それは物質世界とは逆のものだ。あなたの霊的なキャッシュはあなたの持っているなにかではなく、不思議なことに、あなたの持っていないあるものだ。新約聖書が繰りかえし言っているように、あなたはなにも持たずに来なければならない。ことが真理の美しさである。

さてわれわれはなにも持たないととの意味を発見せねばならない。それは内的な生について、われわれが知的な意見、記憶された観念を持たずに、の意味だ。言い換えれば、われわれはここに、あらゆる脳教的アイディアのなかでももっとも魅力的なもののひとつに突き当ることとなる。なにもないことが豊かさである!

言葉を知ることは、意味を生きることとは同じではないことが分ろう。私が救急箱の印刷された説明書を丸暗記しているとしよう。それは私が救急治療をしてやれるという意味ではない。私が何も知らないと認め、知ろうと努め、実習し、成功したときに、そこで初めてとの説明書の意味が充分にあとまと入ってくるのだ。自分の知性を鼻にかけ、ある宗教書の全章を暗記していると豪語している人

人を、私は知っている。だが、それは知性ではない。その同じ人が、ときどきあなたに、自分はすぐに辞去しなければならぬと言いながら、戸口で小半時もぺちゃくちゃとお喋りをしている。

それゆえわれわれは霊性へむかって緊張する必要はない。そうした努力はおそろしい重荷である。

純粋に霊的な人とは、あるものになりたいという願望を一切棄てた人である。ただし彼は、レッテルもなく言訳もなく、ただ彼がいまあるがままにある人である。彼は彼があるところのものであり、それが彼の全てであり、そこに彼の全体がある。このような人は分割されていない、複雑にこみいってはいない、彼は充ち足りている。

人は自分自身をみつけたいとして、宗教思想や哲学の考えなどと交わるかもしれない。しかしこれだけではなにものをも達成しない。むしろ、却って彼をその真の本性から隔離してしまうかもしれない。なぜならば、自分が霊的な人、ないしは権威的な人であるといった偽りの自己イメージによって生きるという罠に落ちこむかもしれないからだ。彼は、ある役をあまり長く演じていて、自分をその役柄と同一視してしまっている俳優のようなものだ。彼は自分がその虚構の自己だと思っている。そういう人は、その権威を質されたとき苛立つから、あなたはすぐに見抜くことができる。

われわれは、リアルな人間になりたいという唯ひとつの願望に集中したい。ここで成功することは人生で成功することである。私は、たとえば次のような問答で、このアドバイスを質問の答えにしてきたー、

Qしかし、もしわたしが惨めな気持に圧し潰されかかっているとして、どうすればこれを防ぐことができるのでしょうか?

訪ぐことはできるし、防がなければなりません。あなた自身を降伏させてはいけません。あなたは勝てるのです。

Q わたしにごく近い人が、霊的な問題にひどく敵対的なんです。どうすれば話を聞かせることができるでしょうか?

A あなたがその気になれば天が助けてくれます!二つの法則を忘れてはいけません。ひとつ、誰も、欲しくないものを与えられることはあり得ないということ。ふたつ、あなた自身の開発に力を注ぐことで、他の人の反対に煩わされることはなくなります。

Q 内的な光明とか霊的な進歩向上とかの言葉は何を意味しているのですか?

: きわめて簡単でかつ到達できるあるものなのに、何百万という人々が湯仰しながらなかなか達せられないものということです。定義を複雑にする必要はありません。不自然なもの、パニック、疲労町態、そういった重荷を着実に落としていくと同時に、陽気さ、気軽さ、安らかさなどを積んでいく、そういう意味です。