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10-④ 日常生活での重苦しさの原因

<日常生活での重苦しさの原因>(P245✔︎)

一習慣的な反応を捨てなさい

真摯な探究者が直面する、まことに奇妙な不安というものがある。彼はなんらかの真理を首尾(しゅび)よく経験するのではないかと恐れるのだ。

そうなのだ。成功することが恐いのだ。真理への到達に成功するためには偽りのものを棄てなければならぬ。ところがこの偽りのアイディアは、われわれが慣れ親しみ、それがあるために快適さを感じ、人生に目的を与えてくれたかに見えるから、大切にしているものなのだ、それを棄てるのが恐いわけである。

われわれを自由にしてくれる筈のものに抵抗する、それに縛られることが怖いから!開いた扉の前で、とわくて立ち竦(すく)む囚人みたいだ。

この特異な不安が、人類がなぜに多くの真の教師を無視するか迫害するのかを説明してくれる。人類はこれらの教師からのギフトを凶器と見誤るのだ。

このおかしな状況を譬(たと)えたスーフィ教の寓話(ぐうわ)がある。偉い王様に飼われた鷹が、豪華な宮殿に棲んでいた。鷹は空を翔んでいるうちに、フクロウどもの棲んでいる荒れ果てた廃墟へ降り立って休んだ。フクロウたちは賢くなかった。席が自分たちの荒涼(こうりょう)としたこの廃墟を乗っ取りにきたのだとフクロウたちは思った。鷹は、「俺は立派な宮殿のなかに巣があるのだ、こんなみすぼらしい場所にはぜんぜん関心がない」と説明したが、フクロウたちは首背(うなず)かない。宮殿の生活など知らないから、彼らは鷹がうまい口先を使って、ここを盗もうとしていると口々に罵った。

日常生活での圧力感はごく簡単に説明できる。われわれは新しいものへのチャレンジに対して、不自然な、獲得された、古臭い反応の仕方で接する。これが日常的な重苦しさの原因である。解決はおのずから明らかだ。われわれは習慣的な反応を棄て、チャレンジをたんに意識しておればよい。条件づけという膠(にかわ)で固められてはいない澄んだ心をもって接すれば、そこに見いだされるのは、チャレンジであって、粘っこい圧迫感ではないのだ。これがスーパーマインド思考である。

することに代って見ることをもってせよ。最初の千回失敗したとて気にするな。失敗したとしても、それは成功なのだ。なぜならあなたは、古い、機械的な、無益な反応はしなかったからである。

スーパーマインドとは、トータルな心的健康状態を指し、それ以上でもそれ以下でもない。この新しい状態では、心は強迫観念、迷信、困惑などという通常の境界線を遙かに超えているのだ。この新鮮さと全体性とかを生きるとき、われわれは初めて生きるのである。

人の生は、理知的な意識が出現したときにのみ始まる・・・・・・(レオ・トルストイ)