終章-⑤ 具体的な救いへ導く一般的思考
<具体的な救いへ導く一般的思考>(P292〜)
一、いったん真に理解すればすこしも辛いことはない。
二、生を自分の流れにひきこもうとする気ちがいじみた試みが生を閉めだしてしまうのだ。
三、自分がこのようにしなければならぬと思うような行動などいっさいしなくともよいとしたらこの世はなんとリアルな世界となることであろうか!
四、世界の狂気を、それには一切関わることなく、静かに観察することは充分に可能である。
五、外部的な活動がいかなるものであろうとも、もしもあなたが意識をもってそれを行なうのであれば、その瞬間はあなたはフルに生きている。
六、ベッドに寝て、ネガティブな心的フィルムが心のなかに映しだされるのを許していてはならない。
七、何が正しいかがもはやどうしても分からなくなったとき、いやそのとき初めて、あなたは努力を要せずに、真に正しいものに従っていけるようになる。
八、あなたのためによいことをしてやりたいという人々からは遠ざかっておれ。
九、微しい苦しさを、われわれ自身の気分をそらすことで軽くしようとすれば、将来の苦しみを予防するまたとない機会を失ってしまう。
十、まったくなにもすることがなくなったときに、あなたのすべきことが分ったとすれば、そのときすでにあなたは黄金づくりの勝利の門へ入っているのである。
十一、すべてはあなたがよろこんでどこまで行こうとするかにある。
十二、植えつけられた人間的知恵を棄てるという恐ろしい過程をあえて通ろうとするものはだれでも、骨を折らずに宇宙的な叡智に運んでいってもらえる。
十三、ひとつの獲得された、もしくは条件づけられた意見をもうひとつ別のそれと交換することは、飢えを満たすために蠟の林檎をプラスチック製の林檎に替えるよりも無駄なことだ。
十四、あなたに"咬みつく”ものはすべてあなたの内部にある。
十五、あなたに起こったものではないことに対して不平や不満は抱くな。そうすればあなたは何百人もの人々の知らない平和な秘境を知るようになる。
十六、受容性は真理へ開け放した態度であり、物の受容性である浅い好奇心はネガティブなものへ開け放したドアである。
十七、偽りのアイディアにもとづいて人生を美しくしようとすることは、鋼鉄製の罠に花束を置くようなものだ。
十八、宇宙的な愛はわれわれに、われわれが欲しいと思うものは与えない、われわれが真に必要なものは与える。
十九、単純であれ、そうすれば至高へ到れる。
二十、あなたが耳を傾けさえすれば、いまのこの瞬間にも、あなたは自分自身からよい報せを聞くことができる。
二十一、紐つきではない真の贈物は、あなたが求めずとも来る。それは求めても来るものではない。
二十二、誰もあなたになにかをしてやらなければならない義務などはない。それはどんな人間も、あなたのためになるような真に価値あるものは有していないからである。
二十三、あなたの幸福のためには他の誰かに頼らなければならないといった秘かなじこみを克服せよ。
二十四、あなた自身からあなた自身を隠すものが少なくなればなるほど、あなたは健康になっていく。
二十五、あなたの最終ゴールは、人生をあなたの流儀で送らなければならないという狂気の我執を乗てて、生をしてその思うがままにあなたのなかを通過させることである。
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