Skip to main content

11-⑥ 永遠の喜びに至るには

<永遠の喜びに至るには>(P273〜)

-あなたの理性的な心のみを使う

内的な自由への進軍は、家へ着くためにいくつもの川を渉らなければならない人のようだ。これら一連の川にはいろいろの名がついている、頑迷、模倣、不自然さ、臆病など。もし彼が水に入り、渉ることを拒むならば、家庭の快適さから遮断され、いまいるところに止まっているほかはない。しかし、との意に挑戦し、彼自身を超えて進むならば、彼の心からの願望達成へと一歩一歩近づくことになる。

われわれが食欲と性欲による痛ましい渇望を超えてきたとすれば、なるほどそれは長い道をあるいてきたわけだ。こうして自由へと解放された人は自分自身に対して、おれは何が要るとは告げないし、また告げる必要もおぼえない。彼は彼の欲求を生自体に裂ねる。生は常にそれみずからが何をしつつあるかを心得ている。彼は手をのばして欲しいものを掴もうとして、生に干渉はしない。彼は生が差しだしてくれるまで待つ、そして受けとる。彼は食物からもセックスからも駆りたてられはしない。食物もセックスも、彼の支配者として上から君臨しているのではなく、彼の下僕として彼の下で奉仕しているのだ。

プロティノスはこのことを次のように説明している

起とってくる欲望は、それがなんであれ、決して下劣な方向へは進み得ない。疲労回復のための食物や飲物ですら、魂の注目を外れたところでおとなしく横たわっている。そして性欲もまた同じだ••・・・・それは自然の実際的なニーズに応じており、まったくコントロールされている。

われわれが人間的な定義による成功を超えて上昇しなければならないことは、すでに学んだ。では、『スーパーマインド』の成功の定義はどうか?秘教的な事実を理解しようとするくつろいだ、親しみにみちた努力は成功である。あなたの努力の結果などは忘れることだ。なぜなら、結果はそれみずからでやってくるのだから。努力だけが、これのみが肝要なのだ。純粋な勢かは成功である。

天上的な成功へ達するテクニックはすこしも複雑ではない。困るのはただひとつ、人間が辛抱づよく修行することを嫌うことだ。たとえば、われわれは自分自身のなかの自己敗北的な行動に気づいて、これを弁護することを拒否するかどうか?このテクニックひとつでも奇瞔を生みだしてくれる。なぜなら、正直ほどこの地上で健全なかつ清新なものはあり得ないからである。

人間は獲得されたネガティブな性癖を解除することを拒むため、重苦しい生を生きている。ちょうど重たい魚をくわえて翔べないカモメのようなものだ。

しかしマイスター・エックハルトは、自由な心はあらゆることを成い遂げるかをもっていか、とわれわれを激励している。

実際の状況では、それはどんなふうに作動するのだろうか?ここで、不愉快な仕事を気楽な煩わしさのないものにするすばらしい方法をお教えしよう。これを、あなたの情動を使ってではなく、ただあなたの心を使って行なうのである。家事であれ事務であれ、事業であれ、あらゆる仕事は、心でなされるべきであって、決して感情でやってはならない。あなたの情動が支配権を握ろうとするのを拒否すれば、何をやるにせよ、あなたは仕事を嫌ったり、それへ向かって腹を立てたりすることはおそらくはできなくなる。やってみることだ。あなたの理性ある心のみを使うこと。仕事は仕事であることをやめてしまう!

あなたを自由に解き放つ真理を理解し、かつ経験することは、純粋な永遠のよろこびである。