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11-② あなたにとって自由とは何か

<あなたにとって自由とは何か>(P264〜)

-あらゆる機能の完全調和

「愛」ということばもそうだが、「自由」ということばほど無造作に使われ、理解されるところの少ない言葉はないのではないか。

霊的な観点からすると、経済的な自由、政治的な自由などというものはない。

あなたは億万長者で、自由の国に住み、静かな田園に邸宅をもち、しかもなおあなた自身のネガテイブな心的年のなかに囚われているということがある。自由はひとつしかない、それは自己自由である。その他一切の自由は仮装であり虚構である。私はそれらをうんざりするほど見てきた。私は、豪荘な邸宅に住み、心的な牢屋に生きている人々によばれて、話をしたことが幾度かある。

決定的なポイントだけは明らかにしておかなくてはならない。口先だけでこのポイントをそうだといい、ほんとにそのとおりだと讃えるだけではなんにもならない。

内的な富だけがすべてだということは誰しもが即座に諾う。だが、口にだされた賛意は、もしそれが物質的な富への無意識的な渇望と矛盾しているならば、まったく無意味である。ノウと頭は振りながら、口先ではイエスといっているようなものだ。われわれは、そのことの真の価値を理解した上で、なるほどそのとおりだという意識的な合意で事を進めなくてはならない。それだけがわれわれを変えてくれる。それだけが、われわれの日常的な行動をまったく違うものにしてくれる。「真珠を見つけることのできる人は、立ちどまって貝殻を拾いはしない」といわれる。

雲がわれわれの視界から太陽を遮るように、間違った思考がわれわれをリアリティから切り離す。

妄想の雲を払うべく努めて、その先の光輝をわれわれは見ることができる。曇りなき心は自由そのものである。だからこそ、あなた自身を自由とするためこは、ふつう記過という意来のことはなにもする必要はない。たんなる活動と行動のうちに自由をみつけようとしてもダメだ。われわれは、非自由を理解しようと努めなければならない。との努力は報いられる。あなたはほんとうは、為したいとは思わない。あなたは在りたいと欲するのだ。

で、われわれは自由ではないとは何の意味かを知ろうとする。われわれは、内的世界と外部世界の両方で、きわめて実際的な意味にこのことばを使う。非自由とは、苦しい心的フィルムを断ち切れないこと、マーケットで長い行列のいちばん最後にいるときの苛立ち、意気銷沈していること、他人から与えられる以上に他人に与えていることへの腹立ち、なにかいいことをしてくれるのではないかとやみくもに希望して人々を追い求めることなどを指すのだ。こんな生き方をしている人が自分を自由だなどと思えるだろうか?

非自由は、人が多くの相互矛盾する部分部分に分裂しているときにある。彼の一つの部分は新しい車を買いたい、だが他の部分は協力を拒む。一つの欲望は彼を襲楽の場所へつれていく。だが別の欲望はひとつも楽しまない。

自由とは、思考と情動と身体の動きの三者が明るく同一のことを行なっている、内的な調和である。それらは相争うことなく、合致している。上手なプレイヤーが弾くギターの、ばらばらの絃が産みだすハーモニーのようなものだ。

あなたがスーパーマインドによる霊的な音楽の原理原則を体得しているならば、あなたの内部のあらゆる機能が完全に調和のうちに反応するのである。