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7-③ 他人との摩擦を避ける方法

<他人との摩擦を避ける方法>

一己れを知ることだ

人は見かけとは違う。家屋の内側と外側とは違うように、人の外見と内面とはたいへんな差がある。誰かに初めて会うという場合、あなたはそれを経験する。あなたが彼をこんな人と思っているのとは、彼がまったく違う人だということを、あなたは会ってみてはっきりと分る。

間違いはわれわれ自身の誤った思い込みなのである。たとえばわれわれがある人を冷静なタイプだと思いと部。ことで二つの過まちを犯している。まず、彼が他人の前で一所感命にその情動の乱れを抑えていることをわれわれは見ない。第二に、われわれが彼を観察したその時には、たまたま彼のパニック状態を誘起し、それを外面にあらわすような特定の事件が起こらなかっただけなのに、それがあなたには分らなかった。たんに表面的な冷静さは遅かれ早かれ崩れて爆発する。多くの花嫁、花婿があとで気づいても遅いのだ。

われわれの務めは人々を、われわれがそうと見たい、そう見なければならぬようにではなく、彼らのあるがままを見るということだ。そうすればけっして過まちは犯さなくなる。

どうすればこれができるか?他の人々は、心理的に言ってではあるが、われわれには見えない存在なのである。ではどうすればわれわれは彼らをその在るがままに見ることができるのか?

それは、われわれ自身を理解することで、できる。あなた自身の動機を率直に理解すれば、あなたは彼らの動機が見える。あなた自身の願望と行動とを理解すれば、他の人々がなぜあんなことをしているかが、あなたには理解できる。己れを知ることが、他の人々への洞察を開けるキーである。たぶん、ほんの一瞬の強烈な自己正視によって、人は彼自身のなかに鷹揚さの仮面をつけた利己的な動機を発見する。それだけ彼はより健全により幸福となるだけでなく、同じような仮面をつけた他の人々にたぶらかされることはなくなる。

これは二様に働く。あなた自身を理解するように、他の人々をも理解する。あなた自身の行為への洞察を獲得すると共に、他人の行動もあなたにははっきり分ってくる。

社会に生きるあなたに起ってくる出来事はなんであれ、それが、あなた自身を照らし出し、浮きぼりにしてくれるという意味では、きわめて有意義である。他の人々との出会いは、われわれの固定観念への願ってもないチャレンジだ。最良のチャレンジは、われわれを、われわれが思いこんでいるほど高貴な人間ではないと晒けだしてくれる底のそれである。なぜなら想像された理想像の粉砕は不可

視の鉄鎖の粉砕だからだ。

われわれが自己観察をつうじてわれわれの本性を知ると同じく、われわれは他人を彼の日々の行動のなかで見守ることによってその人について知ることができる。たんなる好奇心や批判的観点からではなく、人間についての事実を知りたいという純粋な欲求から、われわれはこれを実行しなければならない。

たとえば、ある人が、なにかについて責められたとき、どう反応するかを見守れ。この非難が正確であろうとなかろうと、それがその人の心の中に怒り、價怒、あるいは仕返しの想念を誘起するのを注視せよ。エゴの少ない人、そのスーパーマインドから思考している人は、防衛すべきなにものももたない、従って動転しない。だが卑小な人、彼自身と彼のスーパーマインドとの間に深い燃隔のある人は、攻撃的にかつ禦的に反応する。

アルトゥア・ショーペンハウエルはもうひとつテスト法を教えてくれているー

人というものは、ごく些細なことを扱うときに、ついその格を暴露するものだ。そんな場合には醤戒心がないからだ。このととは、人間の人格にある底知れぬエゴイズム、他の人々にはひとかけらの思いやりもないところを観察するまたとない機会になることが多い。もしこうした小さなことで陥が現われたら、あるいは彼の一般的な行動にその陥が見えたら、なにか重大な事柄についても彼の行為の底にはとうした久陥がそのもととなっていることが分る。彼はただ事実を上手に偽っているだけかもしれないのだ。・あなたの戸口から先では彼を用してはならない。