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8-⑥ 問題はその本来の無へ至る

<問題はその本来の無へ至る>

-真実によって幸福となるか真実なしで不幸となるか

あなたの思考、言語、行為が、あなたの内なる真髄、つまりあなたの真の自己と一致しているならば、すべての問題は消えてしまう。不協和音は、真なるものと、誤って真なるものと思いとまれているものとの間にある矛盾と摩擦なのである。

肥りすぎという問題がある。これは間違った中心がその人を管理してしまうから起こる。われわれが、心をしてではなく、肉体をして、何を食べるかをわれわれに告げしめておれば、肥満などは起こらない。自己をよく知るということがいかに大切か!

金につながる問題も多い。自己統一がなされている人は自己分裂の人とはまったく違った金との関係をもっている。ひとつは、彼がはるかに実際的だということだ。彼はほんとうに要るものだけにしか費しない。所有欲が起とす人為的ニーズのために金を要うととはしない。金さえ使えば力が得られるという感覚への強迫的欲求はもたないから、彼の満費は少なく、彼はあまり金を要しない。彼は富に惹かれず、金に誘惑されず、買収されることがない。これが彼の享受している平和な自由のひとつである。

ゴルディオスの結び目という古い伝説物語からわれわれはあることを学びとれる。大昔、小アジアにフリュギアという小さな王国があった。この国が有名なのは、ただ、宮殿の中庭のひとつにあった特別な戦車のせいであった。戦車の職は艶き馬の木に、ゴルディオスの結び目といわれる大変に解きにくい結び方でつながれていた。

訳注。ゴルディオスはフリュギアのただの百姓であったが、自分の馬車でゼウスの神殿へ駆けのぼった最初の男がフリュギアの国王となるというゼウスの神託によって、人民から選ばれて、王となった。彼はとの馬車を後でゼウスに献じた。ゴルディオスの馬車を挽き馬にむすんだ綱はミズキの樹皮を編んだものだったといわれる。

ある神託によると、この結び目を解いたものは世界を征服するとされていた。だがゴルディオスの結び目は、あたまのいい、そこらじゅうの王や戦士の挑戦を尻目にかけ、解かれないままに百余年が過ぎ去っていた。

ここにマケドニアの若い王、アレキサンドロスは、自分の腕を試してみようとフリュギアへ旅立った。指定されたその日、中庭には物見高い見物人がいっぱいだった。百年の余も、多くの挑戦者がこの結び目に挑んだが、みんな失敗だった、いったいアレキサンドロス王はどんな新手をもちいるのかなと、観来は固唾をのんで見守っていた。

そのアレキサンドロスは、館の鞘を払い、ゴルディオスの結び目をきれいに真っ二つに切り放した。

私がこの伝説を取りあげたのは、との章の冒頭にのべたポイントを強調するためである。われわれは、解きがたい困難な問題を打ち破るには従来とはかけはなれたまったく新しい方法を学ばなければならないということである。新しい方法のさわりは、この新しい方法が存在するのだという点である。それはあなたの想像するところとは全く違った、あるなにものかである。もしこの答が想像上のものであったら、真に正しいとはいえない。あらゆる人間的苦悩の解決は、想像力の問題ではなく、事実の問題なのである。事実だけがわれわれに偉大さを与える。

あらゆる人々は偉大なことをやりとげられる、もし偉大なこととは何かさえ知っているならば。

(イギリスの小説家、批評家。一八三五〜一九〇二)

人は、霊的な生によって幸福となるか、それなしで幸福になるかの選択ができる、と多くの人々は陽気にそう思いこんでいる。だがこうした選択はあり得ない。われわれは真実によって幸福となるか、真実なしで不幸となるかのいずれかなのだ。折衷はないのだ。

遅かれ早かれ、あなたは立ちあがって、あなた自身の内部にある暴制にこれ以上票まれるのを拒否しなければならない。心的誠実さに妥協はないー これをあなたの人生のモットーにするがよい。