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9-⑧ 孤独から利益を得よう

<孤独から救われ利益を得よう>

-生の全体と一であには>こと

独りきりだという状態ことは必ずしも孤独感を意味しないと分ったわれわれは、更進んで孤独ということから豊かな報酬を得ることができる。最初の証言は、ショーペンハウエルのそれだー

ほんとうによい集まりは必然的にきわめて小人数のものであらざるを得ない。豪勢な祝典や喧噪をきわめた饗宴(きょうえん)には、いつもその底に空しさの感覚が瀰漫(びまん)している。偽りのトーンがそこにはある・・・・・

孤独は、人間たちの交錯する影響力によってわれわれの生命力が無意味に放出されるのをストップしてくれる。孤独は、心がそれみずからにとって本質的なもののみに集中することを許してくれる。

社会一般は常に、ネガティブな人々は特にそうだが、より高いッテルを求める人々かその強さを吐きださせ涸(か)らそうと努める。この心理的プロセスに気づくことである。より低く弱いレベルの人々は、いつも、より高くより強いレベルにいる人々のエネルギーの流れに只乗りしようとする。弱い人人にあなたの強さを盗むままにさせることは自然の法則に反している。決してこれを許してはいけない。

あなたがたった独りでいる時間を活用してスーパーマインドの諸原理について深く思いを致すとよい。あなたはこれらのアイディアを経験へ適用するまたとない機会に恵まれたのだ。健康の問題ひとつを取ってみるがよい。一般社会の人々が、心が身体に強い影響力を及ぼすことを理解してきたのはついこと十数年のことである。しかし二千年も前にすでに、病気と精神的障害とのあいだの密接なつながりを、エピクロス(ギリシャの哲学者。前三四二〜二七一)は明瞭に指摘している。アテネとミュティレーネにあった彼のサナトリウムにいた患者たちが健康を回復し明るく元気になったとき、エピクロスはその治療者として盛名を馳せていたのだ。それゆえあなたも、この孤独のときの反省期間を活用して、あなた自身と宇宙的原理との密接なつながりを考えてみるとよいのだ。

誰も彼も口あなた自身だけが仲間だというのは大いなる啓示悲しい告白のなかで、次のようなものほど哀れな言葉はない!「まったくの孤独なんです、とても耐えられません。それはあなた自身を在るがままに見るパーフェクトな機会だ。とうして得た自己認識を実際の目的に活用することができる。私は、感情がすぐに他人によって傷つけられると自分で認めているある女性と話をしたことがある。私は彼女に訊いた。

「あなたは他の人々に、あなたはこのように感じなさいあのように感じなさいとあなたに命令するのを許しているのです。そのことに気がつきませんか。なぜ自分の感情を他の人々の影響下へ投げすててしまうのですか?」

彼女の表情を横切るのがあった。彼女は自分の問題への洞察を得たのだった。もし彼女が黙想と反省のために恵まれたといってよい独りきりの時間をより大きな自己教育に活用ょっちゅう衝きていたなら、何年にもわたる苦しみはなくてすんだはずでる。

孤独は賢い教師だ。古い弱点をあらわにしてく新したたまれない孤独感です」。中にはこうつけ加える人もいる、「わたしがどうしようと、だれも気にか力を届けてくれる人はい。あらゆる状況下に、自分自身に対してゆるやかいみたいなんです」

寂しい人々はふつう、新しい友達態度維持させてるとか、新しいなにかの活動をするとかの方向へ切り替えよと助言される。ただしこデンマークアドバイス哲学者、セーレン・キルケゴールは、彼ら自身霊的成熟をしめすひとつ隔離感覚と正面から対決したことのない人々のそれである。金持ちにとって徴候は、貧し独りきりのときに快適で人に、金られる能力けがすべてではありませんよと言ってのは易しい

最後に、孤独は、われわれがどうししかに誰にとっても、バランスのとれた生を送るため絶対は友人や活動などは有益な要因残りきりではないことを証明する。われわれはただ、それらは孤独という悩みの真の解決にはならない、解決の力はないと言っているのである。それらは、あなたを一時的に孤独感の痛みから気を逸らしてくれるだけである。あなたが自分の心へ戻ってくると、そしていつでもあなたはそこへ帰らざるを得ないのだが、再び孤独はあなたを苦しめる、そうではないのか?では、どうすればいいか。ヒントは、孤独は心にあるのであって、それ以外にあるのではないということだ。ここがわれわれの、スーパーマインド的解決への出発点である。

あなたは独りだ。何も起こらない。電話は鳴らないし、郵便配達夫は素通りしてしまう。あなた自身だけがあなたの仲間でいる。さてここで、この独りきりだという状態を、あなたの心が不注意そうしてしまわないかぎり、自動的に「孤独」と翻訳することはできない。たとえ独りでいてあなたがそ無意識的な心がそれに孤独全体いうレッテルを貼るのを許さないならば、孤立、隔離といった感情は起こるはずがないのだ。この感情を活性化してトラブルを起こさせるのは、無意識的なレッテル貼りないし命名一つなのである。

独りでいることにレッテルを貼らないこと、これで独りきりの状態は純粋に保たれ、穢(けが)されることはなくなる。このことを証明するには、寂しく感じたらいつでもこのテストをしてみるとよい。そして結局、最後にはスーパーマインド思考が孤独感情を絶対不可能にしてくれる。

もしあなたが白いシーツに身を包んだ人の姿を見て、それを幽霊だなどとはよばず、たんに白いシーツの人影とだけ見るならば、別に怖わくはない。名前さえつけなければ、「幽霊」という語にまつわる恐怖の観念連合は起ころうはずがないのである。

孤独感は、他の人々に囲まれていてさえしつこく自己主張する、なぜならわれわれはそれを恐ろしいと称(よ)び、この恐ろしさから逃げだそうとするからである。しかし、孤独感から逃げられるはずはない、なぜなら、孤独なるものはもともと存在しないのだから。在るのはただ、誤った反応が創りだした幻想だけなのだ。幻想から逃げられないのは、そこにいない虎の襲撃から逃げることができないのと同じである。逃げられはしないが、振り返って、虎などはいないと知ることはできる。そこであなたが無意味な逃走などをやめるだろうことはもちろんである。

スピノザはこれを理解して、書いているー

・・・・・わたしは、わたしに不安や恐れを起こさせた事物はすべて、それ自体ひとつも善いとか悪いとかはないのだと分った。ただわたしの心がそれらから動揺をうけたというだけのことである・・・・・・