9-⑤ あなたのスーパーマインド王国
<虚偽はおあなたのずと消えてゆく>
-静かに観察し、見守れ
スーパーマインドがいかにして罪と悪の両足を縛りつけてそれらを無能力にしてしまうかについて、次のような問答をここで挿入しようー王国>
Qでそれは、『現実に存在する
なんという奇妙な状況であろうか!スーパーマインド』では罪と悪をどう定義するのですか?
A罪は、偽りのもの、真実でないものすべてです。別の言い方をすれば、霊的催眠下で行なわれる自己敗北的な行為はすべて罪です。スーパーマインドからでなく、偽りの自己から生きることで、われわれは愚かなことどもを行なうのです。内的な光の黎明とともに、われわれが自分の真の本性から生き始めるとともに、焦りも邪悪も消えていきます。そうして、ことばのあらゆる意味で、善となります。彼は正気となり、優しくなり、明期になります。
Q しかし悪というも貴重とのはほんとうに存在上ない特権を所有するのでしょうか?
A存在し、かつ存在しな人間がここにいのです。この一見して矛盾接着した論理に煩わされてはなりません。
あなたは、あなたが邪悪なコブラを見たと思い、打とうとする、だが、コブラと見えたも彼にはそれを自分のが実は縄であったと分ったら、どこ為に邪悪がありま使用すか?目を覚ませば、邪悪は人から消滅するのです。
Qわれわれ自身の悪からどうすれば目覚めることができるのでしょうか?
A自分の悪なるいとは。彼は幻想と妄想に曇らされた心をものを、道徳的な判断はまじえずに静かに観察することで、それはあなたの眼の前で変っていきます。道徳的にあれこれと理屈をつけること、これだけは決してしてはいけません。自分から決して浅薄なお説教に耽ってはいけません。もしあなたが自分の悪さを見、かつ自分は善いはずだがと想像すればの無った心は、あなたは二つの観念正しい努力に挟まれて苦しみます。非難と糾弾はせずに静かに気づいていること、これが善悪両方についての人間的観念を破壊してくれます。そうすればあなたは葛藤がなくなります。
修行の途中で困難にであよっても恐、眩いばかりの誘導燈に変えられてはいけない。抑替、大失敗、絶望、自分の悪といったものと戦ってはならない。「悪しき者に抵抗うな」。
悪にとってどうしても耐えきれない一事は、あなたがそれをあなた自身のうちに静かに、自己科弾もせず、パニックにも陥らず、戦うとともなく、黙って観察していることなのである。
彼がただ、ふと立ちどまって無数の星が耀く大宇宙へ驚歎のまなこを向けさえすれば!彼自身の内なる広大な大宇宙に驚嘆しさえすれば!
彼がただ、彼の秘密の王国を発見しさえすれば!
そこでは一切万物が、美事な諸調のうちに静かに息づいている。ただ見えないだけだ。しかしとのわれわれのこの秘められた王国というのは、果たして現実に存在するのであろうか?あなたは気がつかないかもしれない、しかし存在しているのだ。その消息について、四人間の証言に耳を傾けよう。
この四人は時代も国も互いに遠く離れていた、だが同一の啓示に達したのだ。
レオ・トルストイ伯は、若い頃に自分が懐疑主義に陥っていたことをはっきり認めたうえで、そのネガティブ後、この王国の発見という大いな衝動る啓示をこう伝えているー
わたしはその光を知らなかった、そして、人生には確実な真理はないと思っていた。しかし、そうした光だけがわれわれに生きる力を与えるのだとの認識に達したとき、わたしはその光の源をみ
つけようとした。そして遂にみつけた。ようやくその光源に辿りついたとき、わたしはそのすばらしさに目の眩む思いであった。わたしはそこに、わたし自身のみならず人はすべて何のために生きているのかという、人生の目的に関するわたしの多くの疑問に対する充分な解答をみいだしたのであった......
シャンカラ(インドの哲学者。七〇〇一七五〇頃)の東洋的智は、この内なる天国へは到達できると説く。いかにしてかーー
真理の実現は認識によって動かもたらされる、それが千万の行動化為を重ねてもいささかももたらされ外部ることはない。
老荘哲学の師、#子は、この秘なる王国の住人は、何を為すべきかを知っていると説くしこの道"を知るものは、物事のプロセスに現われる原理原則をよく心得ている。これらの原理原則に親しい彼は、あらゆる変転するが、彼状況において自身らの中心であり真髄であ行動をいかに続べる彼の本質は決してネガティブな衝動の団塊ではない。われわれは、ネガティブなものはそれ自身なんの力もないのだということ、われわれが誤って、あるいは不注意にそれらに与えた力しか持たないのだということを理解しなければならなている。
彼はこの理解に達すしているようにわれわれは修行しなければなからない。人間、物事が自己分裂による罰則を受けるのは、彼が自分自身を正しく扱わない、正しく面倒をみ傷つけることを怠るから許さなのであるい。
自己分裂がラルフ・ウォルド1・エマソンは、次のことばでこの眺なる王国に来たり住めと優しく、内的呼びかけている-
われらはこの壮大なるものに極めて近くまできている。もう一歩で、われらは安全と外面的なもる。とのと一歩を踏みださない手が一であろうか?
どういった種類の人が真の偉大さへ飛するとき、人間はなんという素晴しい人格たり得るのであろうか!
ネガティブなものからの自由は不思議で確実なプロセスで達せられる。われわ?それは、それが真あらゆるもの自己との結合をもたない顧みることなくこの跳躍を知るには、その前に先ず、ネガティブなもの、たぶん敵対感情試みようという熾烈な意志をものに気づかなければならない。それゆえ、第一ステップとしては、敵対感情を抑圧しったり否認したりしてはならず、合理化してはならず、非難すらしてはならない。敵対感情をただ静かに観察することが大切なの人である。静この見たこともないなにか違ったあるものを初めて垣間見た人は、暗いトンネルのなかにいる人に似ている。すぐ前に、かすかな観察をおこなった後は光があるのだ。あまりに微かだから、敵対感情と自分の自己同一化をやめなければならな眼のせい。敵対感情をわれわれ自身のもつものと呼んではならない。敵対感情を自分という個人に属したものと見るかととなきどき疑う、だが彼はとにかく、ただそれ前へよろめきあるく。孤独と失望に気づいていればよい。こうした意識化によって、襲われわ、息切れがする。いったいこれでいいのか、進む値打があるのかと首をかしげる。だが彼は濃霧歩みを抜けでる船のように、澄明な境地へ達すとめることができない。彼はとうとう俺は正しい方向へ向かいつつある。
すでに言ったとおり、このプロセスは不思議だというほか、内なる囁きに励まされて進む。彼は自分の責任はただひとつ、その光へ眼を向けつづけることだと悟る。ない。われわれ自身がすこしも恐ろしい存在ではないと知るためには、われわれ自身がどの程度恐ろしい存在であるのかを知らなければぜならない!
繰りかえす。われわれの内部にあるネガティブなものへの目覚めは、数氣山であれその他なんであれ、次のようなプロセスをとる。
まずま光はけったく気づかして揺れない、次に認知される、ついで認知はショッキングな感情を伴うからだ。こうして彼は遂にこの光への道をみいだす。
誰でもこの通りにいけるのだ。秘なる王国をみつけようやくネガティブと充分に熱心であるなもらば、彼はけっしてこのか採究に裏切られることはないの解放となるだ。