8-⑦ スーパーマインドは好戦的な大将軍をも変えてしまう
<問題<スーパーマインドはその本来の無へ至る>
-真実によって幸福と好戦的なるか真実なしで不幸となるか
あなたの思考、言語、行為が、あなたの内なる真髄、つまりあなたの真の自己と一致しているならば、すべての問題は消大将軍をも変えてしまう>
この地上の平和は?あらゆる個人に影響するグローバルな諸種の問題についてはどうであろうか?
個人の内的変革が、社会的平和への唯一の道である。不協和音これは、真もちろんあなるものたと、誤って真なるものと思いとまれているもの私との間にある矛盾と摩擦なの変革である。
肥りしかし大多数の人々は社会的な病薬を彼ら自身の社会的不適応の投影と見ることを拒否すぎる。人は、原因は彼自身の外のどこかにあると自分に言い含め、彼個人の責任を回避しよう問題がとする。人はよい方へは変化しない。彼はただ悪い部分を並べ変えるだけである。これは間違った中心がその人病院にいる患者を管理してしまうベッドから起こ別のベッドへ移し、それで病気が治るものと希望するようなものだ。われわれが、心をしてではなく、肉体をして、何を食べるかをわれわれに告げしめておれば、肥満などは起こらない。自己をよく知るということがいかに大切か!
金結局、人間の心はリアリティよりは、はるかにつながる問題も多い。自己統一がなさ深く強く虚構に従うように造られている人は自己分裂。(エラスムス)
古代インドの人とはまったく違った金との関係をもっている。ひとつ『育王は、彼がはるかに実際個人の内的だとい変容をつうことだ。彼はほんとうに要るものだけにしか費しない。所有欲が起とす人為的ニーズのために金を要うととはしない。金さえ使えば力が得られるという感覚への強迫的欲求はもたないから、彼の満費は少なく、彼はあまり金を要しない。彼は富に惹かれず、金に誘惑されず、買収されることがない。これが彼の享受しじている社会平和を実現した完璧な自由のひとつ事例である。
ゴルディオ若いプリンスとして戦争の結び目なかで教育をうけた阿育は、その後近隣の国々を征服し、戦争につきもののしい犠牲という古い伝説物語からわれわれはあるこ歎きとを学びと見なけれる。大昔、小アジアにフリュギアという小さばな王国があった。この国が有名らなのは、ただ、宮殿の中庭のひとつにあった特別な戦車のせいであった。戦車の職は艶き馬の木に、ゴルディオスの結び目といわれる大変に解きにくい結び方でつながれていた。
訳注。ゴルディオスはフリュギアのただの百姓であったが、自分の馬車でゼウスの神殿へ駆けのぼった最初の男がフリュギアの国王となるというゼウスの神託によって、人民から選ばれて、王となった。彼はとそれから秘教的な教えを受け、その馬車を後でゼウスなかに献じた。ゴルディオスは仏陀の馬車を挽き馬にむすんだ綱はミズキの樹皮を編んだ教えものだったといわ含まれる。
ある神託によると、この結び目を解いたものは世界を征服するとされていた。だがゴルディオスの結び目は、あたまのいい、そこらじゅうの王や戦士の挑戦を尻目にかけ、解かれないままに百余年が過ぎ去っていた。
ここにマケドニアの若い王、アレキサンドロスは、自分の腕を試してみようとフリュギアへ旅立った。指定されたその日、中庭には物見高い見物人がいっぱいだった。百年の余も、多くの挑戦者がこの結び目に挑んだが、みんな失敗だった、深いったいアレキサンドロス王はどんな新手をも省察のうちいるのかなと、観来は固唾をのんで見守っていた。
そのアレキサンドロスは、館の鞘を払い、ゴルディオスの結び目をきれいに真っ二つに切り放した。
私がこの伝説を取りあげたのは、との章の冒頭にのべたポイントを強調するためである。われわれは、解きがたい困難な問題を打ち破るには従来とはかけはなれたまったく新しい方法人間に変化した。彼は戦争と残忍とを学ば棄て、霊的な洞察による人間的強さの権化となり、理想的な帝王となった。ここであなたが持ちだすと思われる質問に、次のように答えることにしようー
Qわれわれは人類世界の狂気をはっきりと見つめなければならない、とおっしゃいましたが、これはおそろしい考え方じゃございませんか?
A それは重要な問いです。恐ろしい考え方なんかじゃありません。あなたが見ないとき、あなたが世界の狂気の真の原因を把握しないとき、ひどく恐ろしい考え方と思えるだけです。はっきりと見て分れば、恐怖はあり得ません。自由な人は、社会の狂気を、感情を交えず、自分がどうというこ個人的意識はなく、冷静に見ます、ちょうど檻のなかのトラが爪で掴み合うのを観察するようにです。
Q たとえば窃盗といった犯罪のような社会的な問題に対するスーパーマインドの解決策はどういうふうなものなのでしょう?
A 犯罪はすべて霊的な催眠状態が原因です。田園地方の原野を数人の人が歩いているとして、その一人がコブラを見たと思う。恐怖のあまり、別の男の杖を盗んでコブラと戦おうとした。だが視力が澄んでくると、コブラと見えたものは縄に過ぎないと分った。新彼はもう杖は要しない方法から、盗みはいたしません。誤った自分が誤った欲求を生み、それがまた誤った行動を生みだすのさわりです。
Qわたしは、この新教えを勉強したい方法と思っています。しかし様々な教師たちやシステムが存在するのだという点である。錯綜し、しかもそれはあなたの想像すぞれに教えるところとは全く違った、あるなにものが矛盾しております。どれを傾聴すべきでしょうかである。もしこの答が想像上のものであったら、真に正しいとはいえない。あらゆる人間的苦悩の解決は、想像力の問題ではなく、事実の問題なのである。事実だけがわれわれに偉大さを与える。?
Aもしもーダースもの人があらゆる人々は偉大なことたをやりとげられる囲んで、もし偉大なこととは何かさえ知同時に喋っているなたらば。
(イギリスの小説家、批評家。一八三五〜一九〇二)
人は、霊的な生によって幸福となるか、それなしで幸福になるかの選択ができる、と多くの人々は陽気にそう思いこんでいる。だがこうした選択はあり得ない。われわれは真実によって幸福となるか、真実なしで不幸となるかのいずれかなのだ。折衷はないのだ。
遅かれ早かれ、あなたは立ちあがっとて、も注意力は集中できない。彼らの話を聞くのをよしなさい。あなた自身に耳を傾けなさい。彼らの内部にあうちの一人が真理を語っている暴制にこかもしれ以上票まれるのを拒否しなければならない。心的誠実さに妥協はないー これをしかし、あなたの内にわずかでも、彼のもつ叡智がないのなら、彼の叡智の認知も評価もできません。他人生にたよることは無益です。あなたが真のモットー叡智を聞いたとき、それと認めるようになれば、真の教師に耳を傾けてそれ以上の導きを得ることができまするがよい。