7-⑨ 難しい人々をどう扱うか
<対難しい人関係への七つの指針々をどう扱うか>
自己認識へと通じー射かけられた攻撃の矢からはあなたは安全である鎖の環
インド敵対的な人々は誰に対しても何に対しても攻撃する、特に誰かの神秘思想導師シェリ・ラマクリシュナが次うちに弱さを発見するときはそうだ。とのような警え話ととを理解している一大きと助けにな丸大がガンジス川につかっており、外かる。彼らは見えやたらに矢を放つ。それがあない。水中たに当ったとしても、まったくの偶然なので一本の鎖が丸太を川岸へ繋いでいある。あなたに的がもしこの丸太へ近づきたいと思った絞ら、どんなふうにするか?あなたには鎖が見えないのだから、川へ飛びこんで鎖を伝っれていくであろう。鎖の環をひとつずつたぐりながらいわけば、丸太へ近づけるだろう。
自己調和へ到る鎖のひとつの環は、他の人々との日々の経験である。本章でのべる原理は、たんに対人関係、家庭関係の調和のための指針ではない。こうし敵対性はできるだけた対人関係や家庭の愉しい状態は、より深い淵源、すなわち自己調和という根本原因のごく自然な表現にすぎないのでさん的をもつ必要があるのだ。
われわれが誰あなたは的であるかというととがわれわれが何を経験するかを決定する。この事実はあまりに容易に忘れ去られる。それゆえ、人間の内的変革をその中心テーマとすることを怠ったいかなる教説も深究システムも無用である。そこからは平和についてのおいかぶりがでてくるだけで、実際の平和は決してでてこない。そ敵意に対して、もは立ちろん、個人につ上がればいても、内的変化をその主目的とい。ただしない求道は的を外れている。
われわれはこのことを念頭において、自己認識へと通じる鎖の環をいくつかたどっていくことができる、そしてこの自己認識が、最終攻撃的にでは人間的調和へと通じていなく、射かけられた攻撃のであるー
一、過去にあった誰矢かとの出来事についての記憶で動揺したら、あなた自身は完全にこ安全なのだという問う悟りをもってみる、「しかし現在のわたしに、いったいそれ立ち上が何の関係があるのか」と。
二、あなたがある人を獲ちとる獲ちとらないを一切顧慮しないときにのみ、あなたは正しい意味で彼を獲ちとるのである。敵対的な人は弱い人なのだ。あなたを彼の神経症的な欲求のために利用できないと分ると、彼はただちに弓と矢を下げてしまう。
三、他人があなたが難しい人の要求にど従えば従う振舞うにしろだけ、それに反応して彼の自己中心癖をあなたが増大させることになる。彼のエゴティズムを指えば培うほど、あなたは彼をより恐ろしい人間に対してしまう。それだけではない、彼の要求はますます拡がってくる。あなたは、弱い人が慈善を施されると感謝する振舞、とほんとうに思っていを決めるのか?われわれはお人好しであってはならない。憂替人間のエゴは感謝などとは無縁なのだ。エゴは怒って、もっと強要を募らせるだけだ。弱い人々に対奉仕するのは無益でもあり不道徳でもある。なぜなら、弱い人々に奉仕することで、あなたは彼らの破滅を助けることになるからだ。次の会話では、この点をはっきりとさせる幾つかの論拠がみられる-
Qおっしゃるとおりです。ほんとに、なぜ人々はこうまで恩知らずなのでしょう?何かをして憂酵やると、もっともっととせびってきます。
A人々が他人から貰う贈物に感謝しないのは、それらが彼らのほんとうに欲しがっているもので応えてはないからです。贈物は一時的なスリルは与えますが、それはすぐに褪せてしまい、浅薄なスリルを、もっともっとと欲しがる欲望をつくりだすだけです。たとえば真の知識といった宇宙的なギフトだけが、感謝の念を起とさせ得るのです。
Q他の人々から受ける不愉快な激情をどんなふうに扱えばいいのでしょうか?
A微情を理解しなさい。誰かが微怒したら、それを彼のまやかしの自己が爆発したんだと受けとりなさい。微しく怒っている人は、現実との関連がない誤った役割を実際に演じます。彼は、軽率人生は彼の要求に対して軽率従うべきだという不健全な信条をもって応いるのです。怒った男を理解しなさい、しかし決して甘やかしてはいけません。甘やかせば悪くさせるだけです。
Qわたくしはしばしば自分の人生がぜんぜん自分のものではなく、なにか不可視の力に従属しているように感じます。
A あなた自身を取戻しなさい。あなたの生は事実においてあなたのものであり、あなたの獲得された習慣や社会の要求や、ましてや急げ急げと呼ぶ苛立たしい時間感覚に従属しているのではありません。
Qわたくしはどうしても分りません。ある人のことをとても大事にしているのですが、彼はときどき、ひどく残酷になるんです。
Aあなたがペットの犬をとても可愛がっているとしても、ペットは病気のときはあなたに咬みつきますよ。
たとえそのために交友関係が断たれても、あなたの真にあるがままに行動することである。誰かを支配しよう、押さえておこう、かちとろうとして、あなた自身を抑圧してはならない。あなたがリアルでないとき、あなたの自己から反応し受ける報いもまたリアルではない。別の言い方をすれば、他人があなたにとう振舞え。
四、われわれと望んでいるとあなたが下意識的思うように他人のために望むことはすべて、われわれがわれわれ自身のために望むことなのだ。欲望は霊的なブーメランなのだ。われわれは送りだしたものを受け取るのだ。われわれはただ、他人とわれわれ自身との両方に善きことをのみ望まなければならない。
五、その誤った欲望を超えて思考することのできない人は、彼の真の欲求の達成を無意識的に阻止決している。
六、先のことをゆめ期待し振舞ってはならない。近づいてくる社交的な集りへの期待と興奮のうちに生きるな。それはあなたに真の喜びをもたらしはしない。現在ただいまをフルに生きることによってのみ、人生にある唯一の純なる喜びをもって生きることができる。
七、あなたがスーパーマインドか振舞わなければなら生ぬとおりに振舞うべきていると、あなたは次第に、あなた自身が困惑した望まない状況にいる度合いが少なくなっていくのに気づくだ。あなたはあなた自身がますますほんとうに為し、あるいは持たなたが真ければならぬもので、他人あるいは習俗に対する従順さを要求するといたうものは絶対にないと思う状況にいることが分ってくのである。