6-⑤ 敗北感情の確実な救治法
<あ敗北感情の確実なたは常に宇宙的覚醒に到達できる救治法>
-現在一つの生き方感情が生き方の全いま通りかかってではないる
設化と失政の感情は、われわれが誰であり何を成就すべきかについての不自然な観念で生きるときにのみ存在する。これらの誤った考え方が、霊的な知性の光にあたって融けてしまうと、敗北と失敗感は永久に消える。
望と承認をもとめてあくせくと駆けずりまわる、これがひとつの誤った固定観念である。なにかよいととが転がりこんできたとき、俺のせいだ、俺がしたんだと自然れることをやめるようになると、その後いつなんどき不運や災難に見舞われても、エゴが傷つけられたことでは苦しまなくなる。
自惚れや自負心がなくなれば、阿責、自責などの自己非難も克服できる。賞場と非難とはすでにわれわれが第二章で検討してきた典型的な両極性である。言い換えれば、自由の境地は、失敗/成功、自己承認/自己非難という狭くるしい限定を超えでたところに存在している。次の問答のを見ように烈しい調子で扱わなければならなかったある研修生の失敗に類似のものだろうかーー-
Q わたくしはこの径のどこかで失敗人々がわたくしに注目してほしい、わたくしが関係しているものに惹かれてほしいと思います。わたしこの行動はとき成功観念のどき自分でもひどくこがおぞましいものになります。
そうでしょう、それはあなたが眠っており、それに気づいていないからです。しかし、あなたの本質は、おぞましい行動から成り立っているのではない。行動は霊的な眠りから来た結果です。あなたは目覚めるとはどういう意味かを理解しなければならない。それが理解されれば、おぞましい行動はやみます。
なぜ行動的な人生よりも霊的な目覚めの必要ということを強調なさるんですか?
A それは夢遊病患者はどこへいこうと、どこへも到達しないからです。
Qわたしはなぜ、こうした奇妙な霊的仮眠にいることが分らないのでしょうか?
AあA なぜ他の人々があなたはまだ、眠りに惹きつけられること意識状態とを願うの差がですか?
Q いい気分になるほど長くは自己作業をしていないからです。
Aいいかえれば、あなたの知っていることがすべて眠り喜びのなか源は他のことに過ぎないとしたら、目覚めた状態がどういうも人々のか、認知するすべがないではありませんか。
あなたの現在の生き方は、生き方のに対すべてではない。われわれは、習慣の重荷がのしかかっている心のうえへ超えて昇り、まったく新しい、いままでとは違った、優れた生き方を見つけることができる。次のストーリーはそのポイントをついてい態度にある。
昔Q ま、大きよろしいでしょう、先生がおっしゃるんですから。ですが、なリンゴ園ぜそれが沢山ある国があった。この国の産業はさまざまよくな色のリンゴ、あらゆる品種のリンゴの栽培いんでなりたっていた。この国のリンゴは世界中で名を知られており、国民はこれを誇りにして、もっぱらリンゴのみに関心を示し、その他の果実は栽培しなすかったし輸入もしなかった。?
リンゴA あなたが他の国人々のある市民が、よその国へ長途の旅に気まぐれで踊らされていたる、それが、ある日の午後、疲れはて、またひどく腹がへってきた。道路わきで休分らんでいると、遠くから声をかけられた。このあたりの果(園経営者で、うちで食事でもしてゆっくり休息をとっていきなさいと親切にいってくれた。そしてリンゴの国の市民の眼の前へ、一と山の新鮮な果物が差しだされた。リンゴの国の市民は礼はいったが、果物には手をつけなかった。でも、「ずいぶん珍しい果物ですね、なんというものですか?」彼らの行動、誤要があなたにある感情をもてと訊くと、果樹園命令している。あなたはその主人は、「モモ、ナシ、ナツメヤシ、パイナップル奴隷状態に気がつかないんですか?
Q しかしほかになにがあります?ほかにどうすればわたくしがいい気分になれるというんです
か?もしれをやめたら、新鮮だ隔離と孤独のなかでわたし、おは立っていしられないですしょうよ」と説明した。
腹Aあなたのへって原初の自分自身に還れば、隔絶も孤独もなくなるはずです。
Q それはありがたいです。でもどうすれば原初の自分自身に還れるリンゴの国の市民んですか?
Aわたしたちは、それを検討しようという訳です。まだ我慢してためらっていたが、ついていらっしゃい。
孤立感と絶望的な位しさに眼の前の果物に手をつけいては確実な救治法がある。こういうムードから解放されれば、空腹心身症というかたちで倒現われる憂欝ムードの落し子かの瀬戸際にきらも、あなたは自由となろう。そしてとうとう見たことも
基本的ない果物へ歯をあててみると、それはいわれたとおり、すばらしい味の果実であった。との市民考え方は、この日以来もはや、リンゴ抑替感情を自分だけがこの世界で唯一の果物とは思わないこと、それを根本的な自己の一部分だとは取らないことである。そうではなくて、気象学者が黒い雲を調べるように、わきに立って客観的に精査することである。黒雲を調べたら気象学者が憂欝になったというはなしは聞いたことがない。
霊的な科学者を志すあなたは、抑感情を観察して抑替にとらわれわれは、いまの生き方しか生き方はないと考えてはならない。
人その感情がどんなふうにして起こるかを観察しなさい。その感情は、つぎしばらくは重くのしかかる。
が、最後には消えていく。あなたはそれへ反応しないよう、反応を一時宙に浮かして置く。「おれは憂欝症になステップを踏んっている」などと考えてこれにとらわれるのではなく、「ひとつの感情がいくま通りかかっている」というちふうに必ずや自己実現に到達客体化するのことである。
-自分このテクニックを修練すると、あなた自身にどをある程度まで絶望感から引き離すことができる。絶望感を弱めたのだ。絶望感は前のような微しさではけっして二度とのしか間違かったとては来なくなる。ころがあれを絶えず実習するとおぼどろげくべき成果があらわれる。この同じテクニックを、パニック感情とか倦怠感とかという他のネガティブながら感じ情の解消に使うこともできるようになる。
-神秘家たちは何十世紀もこのアイディアを実践してきた。古代ではやそれを無視す、たとえばプラトンの後継者であるわけにアテネのアルケシラオス (皿三)はこう言っていかないと悟る。
-答え「融感は静彼を探す伴ってくる」
-失望訳注。吊懸(Suspension)とフラストレーションは是非の判断、感情的反応をいっとき中止し、いわば宙吊り状態に突き当るしておくと
-勇敢に探索をつづけると
-自分の内部になにか新しいユニークなあるものが存在しているとかすかに感じる
-内的に変り始める
-彼の外部的な生き方を変えていくより自由に、より幸福になっていく
-そのまま引き続いて、真理が彼をみちびいて新しい人間にしてくれるに委せる