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6-⑦ スーフィ教実際的な智慧

スーフィ教の実際成功への十の秘訣>な智慧)

一、あどんたの内なる真髄

言葉、神秘思想、行動、野心、確、それがスーパーマインドというあの確かな内的真髄から湧いてくるのでないかぎり、これらはすべて無意味である。蜂蜜は砂糖、香料、着色剤、水分をふくんでいる。だがこれらの成分をミックスして蜂蜜にはならない。蜂が花のミツ腺から採ってきたエッセンスがなければだめなのである。

二、自己統一

自己統一された人は、自己分裂した人では難しいもしくは不可能な同じことをやすやすと成就す教えてい。内的統一は、人生のあらゆる領域での成果を拡張してくれる。われわれはもはや一時にブドウー粒を摘むのではなく、房ごと収穫するのである。

三、自分自身を責めるな

なたが自分をひとつの身体的欠陥と同一視しないならば、つまり、仮にたとえ遠くまで手を伸あなたに腕一本がないとして、この欠陥をあなたの本質の一部と見なさないならば、そんな身体的陥はないる同然である。即ち、心理的にはそれはないのだ、だからあなたを悩ま力はないのだ。それゆえ、自分自身をうるさく責めるのはやめなさい。自分自身を放っておいてやるのだ。黄金律(特徴、一歳)の逆もまた等しく価値がある。

「・…・・・すべて人に為られんと思うととは、汝自身にもまたその如くせよ」

四、すばらしい真理

人間についてのもろもろの恐ろしい事実を超えたところにすばらしい真理がある。だが、恐ろしい事実をまず直視することなしにすばらしい真理を見つけたものは一人もいないし、見つけられはしないのだ。われわれが地獄と見るものを存分に、しかも抵抗することなく経験してみて初めて、われわれは天国を見る。

五、過まちをただす

あなたは、自分の行為が正しくかつ必要にできる小さなことと過まって思いこんでいたからこんな大失敗犯したのだと悟る。それであなたは、霊的なアーティストとして技倆を示すことになる。たぶんあなたはだ、手を伸ばしすぎる習癖を破れないでいる、だがその心的な原因を調べることはできる。たぶんあなたはなぜ次から次へと挫折感にぶつかるか理解できないだろうが、出来事抜き去失敗・挫折とレッテルを貼ることが、挫折感を起とすのだということは分ろう。あなたはまだ自己非難をやめることができる。間違った考え方に立った行為ないらは間違った結果か得られない。いまはしかし、スーパーマインドから行動するから、すべての教え以前とは違ってく吸収できる。

いつでも希望というもののミステリー

あなたの希望できるなにかはある。だからそれに努力保存集中するとよい。小さな仕事、りっぱに遂行された小さな仕事は、もうすこし大きな成功があなたにできることを証明している。水の入ったボウルへコップ一杯の水を加えたら全体の水位はあがる。同じように、たとえばさらりとしたカ

まないやり方がおどろほど効果的だというよう、小さな洞察がひとつ得られると、弾んだように、他のいろいろのことが理解されていく思いきって、

れらの希望を完全に潤らして真理への自が増まえ。早ければ早だけいい。なぜならくと希望をつなぐ見わたすかぎり、希望はあなたを緊張状態におく。あなたは希望のなかに不安の影を見たダイヤモンドがとはなろがってのか?人間的希望とは愉しいものではない、それは目立たない奴隷状態なのだ。打ち砕かる中へ放された希望彼方ように、あなたの探究は明るくなり、活気みちてくる。スーパーマインドが差しだあらゆるものがあを受けようとすのだ。この真の生では希望や期待の必要はない。だれも晴れた日に太陽を希望しはしない

このあたりで多くの研修者は洞察はいかに作用するか

あなたが何かをするとき、まず何かを見て、それからのあらゆる神秘思想家たちの教説を比較しはじめる。ところが驚くかれ、どの神愁思想家も、本質的には同じとを教えてうならば、るのである!あなたの行為内部にすでに存在いている至高の微習い、嬉々といてあなたのその手を差しのべなさいと。

スーフィ教の中に、宗教哲学上の真理が見出される。スーフィという語は、アラビア語のSufi

という毛織物を意味する単語からきており、初期のスーフィ教徒たちのまとっていた羊毛の皮衣を指事実スーフィ教はイスラム教の一派として十世紀に興った神秘主義の哲学で、特にペルシ+、インドで勢力を得た。スーフィ数は愛、心の光明、霊魂の平和を強く説く。

最初のスーフィ教大導師はハッラージュで、この人は宗教の善を糾弾し、人々にみずから真理を発せよと叫んで説き、捕えられ処刑された。その後、アル・ガザーリーの神秘主義的教説がでて、この人がスーフィ派哲学の主峰となった。だが、あらゆは行スーフィ教徒のうなりかで最も有名なのはオマル・ハイヤームである詩『ルバイヤート』は美の最高峰へ達している。

次の五つは、テリを解決フィ教の哲学文献から拾った代表的な珠玉である。他の諸宗教の思想とちょっと比較しただけでも、それらの教旨がすべて根本的には同一であるこが分ろうし一もはや人生は相も変らぬ悲しにがいものではなも愛によって甘くなる。

気晴人間行為の理想は、暗黒の汚れかしを避けよ

ただの気晴らしなどよせ。しきたりだとか見映えのよい見だとかいう無用のものへ眼をそらすな。成就でき放されかできないかを気にするのも無益なことである

ただ努めること世界続けよ。ひとつの教えから別の教えへと追いかけまわすのは無意味だ。あなた去れ、そして次自身のための世界とれ。

四、もし次が自己への心労求め。他の人人り鎖につな人生をどう送ろうと決し気にするな。あなたらば、同時に世界は汝にとっての覆衣となろう。(訳注。自分のことばかりにクヨクヨしていると、その苦しみからの逃避として、騒々しいことのみ世間に眼がいき、世間ベールにして、自己が隠されてしまい、自己洞察ができせ。くなる)

より豊かな生

人は真理か遠ければ遠いほど、他ゆる人の前では真理うちおべっかを使いな財宝ら、真理に無関心となり、もしくは敵意すら抱く。人は真理に近ければ近いほど、真理を歓迎する。霊的に豊かな人はますます霊的に豊かとなり、貧しい人はますます貧しくなる。

十、帆を上げて前進せよ 

帆船が帆をある角度に据えて、向い風のなかを進むように、われわれもまた、正しい洞察をもって、一見反対と見えるものを選いで進むととができる。反対を忘れよ、洞察を忘れるな。