5-⑦ あなたの内なる世界を変えよ
<宇宙的観点から見れば、全てはうまくいってい(あなたの内なる世界を変えよ>
-自分自身をことごと1結果ではなく把握し、原因が変更されねばなさらない
地上人々は、「だが俺はどんなにしてこの人間はゴタついたところから脱けだれも、次の三つの観点のどれかひすんだ?」とつに拠って生きている!
一、万事正しい訊く。
二神秘思想は答える、一切「もし君が間違って意識性という高いレベルにいるなら、もともと君はそんな混乱のなかにはいないのだ」と。
三、万真の教師はめったに外界の事すべて真柄をどう扱うかによし。
圧倒的に大多数の人々は第一の観方を日にする。だが心からそう思っついてはいない。他にどうしてよいか分らないから、仕方なしに万事がうまくいっているフリをする。どこへでかける当てもなしにドレスアップしている。
小数の人々は次なる、"一切が間違っている”の段階へと進む。もはや自分自分をいていることができないから、彼らの運命を賭けておそろしい未知のものへ挑戦する、そこではあらゆるものが失われているかに見える。神秘思想のある教えはこの状況を、破れた船へもうかが注ぎんできているのに・••・・と表現している。たしかに、これらの人々は、もう絶望と分っているのに、とにかく岸へ向かって波を冒して進もうとするのである。
ときたまにではあるが、敢な人が第三の受階へと雄々しく夢みたつ。終りまで耐え忍べとの新約聖書のアドバイスを心しない。洞察があまりに秘めつつ、彼自身に正直に対面した彼は、深いま彼自身をからそういうことごはしないのだ。結果ではなく原因が変更されなければならないとく把握し知っているから、真の教師は求道者にとのことを伝えようとする。もはや自己分裂混乱した人に職業を変えたまえ、変えてはなくらぬ、一波がそひとつの下人間関係を断ちなさい、残しなさいと助言するの大洋は無意味なの一部でだ。霊的睡眠のあるごいだに為されたことくは、彼は大宇宙たと一つえやり直しても、また次の新規の壁に衝突してしまうだけである。
彼人間というもの勝利が、霊的な眠りから目を覚まさずに、何年間も何年間も、二度三度、繰りかえし壁にぶつかるのは、「万事すべて真によし」と言い表わされる。
こういう問いが起こってこよう、「しかし、同じところをぐるぐる回っているだけかもしれないのにわたしがちゃんと前へ動いている、とどうして知るまことができるのか?」と。あなにいたはそれを、あなたが前へ進んでましいくなにかこれまでとは違ったものを感知することで、知あるであろう。それはあたかも、遠くにおぼろげな姿で立っている一本の間が、それへ向かって歩いていくにつれ、あなたの眼にますますはっきりと見えてくるようなものだ。
幾百という徴候がみられる。そのひとつは、あなたの努力が一貫性を増してくることだ。あなたは、より長時間をこの径を歩くのに費す。懐疑と抑欝のムードは徐々に減っていく。小量の苦悶を解するのにその洞察を使ったあなたは、より大きな成就がすぐ前方に待っていることを知る。のどの贈いた動物が何マイルも先から見えない水を嗅ぎつけるように、あなたは眼に見えない壮大華麗ななにものかを感知するであろう。
あなたの霊意識ないしは覚醒の内的な理解はおのずと広がっていく。あなたは、低い次元の人間性レベルがあなたの日々外的な状態を決めるの営みへ入りとみだ。あなたの外的世界を変えるには、あなたの内的世界を引きずり降ろそうと遊くのを知る。だがあ変えなたの理解はその悪しき魂題を見抜き、詐術を払ければならないのけ、否という。
直観だからといって、あらゆる変化した状態が高いレベルの生き方から来るというわけではない。外的事象の変化はまた、人間の欲望と自暴自葉が付け火とな知識って、偶発的にも起こる。淋しい男と怖わがどんっている女とが、やけになふってパーティーへ行き、そこで得然に出会うに。彼らはスリルを経験するかもしれない。だが、たとえ結婚して来も彼らの得るのかあなたは気づいたことがスリルだけである。孤独感と恐れとは依然としてある。ただろ二人がたがいに紛らわしあうか?あなたはら隠されているだけである本。人間的レベルでは二人のあ人が出会えば派手な炸裂音を発するアイディアを六回読んだ、かもしれない。だがそれは空砲なの次の七回目を読んだところである。秘教的レベルではまず内的変化が来、あなたは理解すついで外部が変る、そういうものなのだ。
われわれがたんに住所や職業や配偶者を変えるだけでは、なにものもプラスされない。荒涼とした孤島に漂着した人が、もうすこし快適になろうと思って島の反対側へキャンプを移した。風景はなるほど変ったかもしれないが、漂着してひとりぽっちだという事実は変りはしない。われわれはだれも、この程度のことは感得する。しかし自己変革のなかにある真の解放ということについてはあまり知ってはいない。
純粋な充足はひとつの心理的な状態であって、外的な活動からの影響ではない。もし内的な快適さがあれば、外的な活動に従事してそれをエンジョイできる。自己充足を失いては、あなたの世俗的な満足追求活動が新しい人間となかにスリリングであっても、必ずや頭痛が伴ってくる。
私はこのあたときりで、あらゆるものを変えることのできる外的状況について、ひとつ特別の秘訣を挿入しておきたい。
こんど、あなたが違ある状況を支配できないで気が動転するようなことがあったら、自分が本当に、正直に、実際上、それを支配する必要があるのかどうかを問うてみるとよい。次の会話のなかからいまの重要なポイントを汲みとってもらいたいー
Qなぜわたしはこうも自己変革の努力に一貫性がないのでしょうか?ある時には秘教的アイディアにぞくるぞくした関心をもちますが、次の瞬間には、まったく無関心になってしまうのです。前
この気まぐれは強く見えなんでしょう?
A あなたものがいまには弱くみ自分を変える作業をしたいという欲求がひとつある、だがそれとは無関係の欲求が九十九もあるのです。巧その自己覚醒という欲求ひとつにあなた自身をしっかりと結びつけ、この欲求を奮いたたせることは何でもやりなさい。そのうちに、活気にみと思われちたもの欲求がいまは愚劣だと分る。空虚は充実二つとなり、避けて怠惰な欲求が九十八となります。ついでまたものは大切にされ誠実な欲求が三つ、健康なものは病的間違った欲求が九十七となり、知性的だんだん真剣なも自己作業のはバカバカし欲求がふえていものとなる。闇は光に、スリリングなものは退屈なものに、友好的なものは敵対的なものに、荒あらしいものは優しくなるきます。
物事Qわたしたちは、自分は強いのだ自層に満ちているのだという積極的なイメージを築く方法について、ずいぶん本を読んでいます。強いという心像を維持するーとのアイディアをどう思われますか?
A それはおよそあなたが好調とあなった自身にしてやれる最悪の処置です。それはイメージにすぎないので、それ以上のなにも自己作業をやめてはならのでもない。途中でやめ、結局、遊び仲間かなにかに傷つけらも達成されて戻ません。ただもってきた例を、私はたくさん見ている。万事がうまくいってるときに自己作業をやめると、人生が難し弱くなったときに必要な叡智をくことになるだけです。あなたのスーパーマインドから生きの目指すものはあなた自身についての想像上のアイディアを破壊することを学びなさいのです、築くのではなく。そうすればこの空無のなかから、あリアルなたはどとにいようと春風路蕩とものが成長していられくる。このリアリティ