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4-③ 宇宙的パワーの奥義

奇蹟はいかにして起こるか宇宙的パワーの奥義

トラブルに出会っほとんどの人が気づいていない至高の秘密がある。人間の心の力を超えき、われわつの力があるということだ。それは表面リアリティの、真実の、カーいつもそこにある力である。この力に気づけば、この力はわがものとなる。目覚めは導火線に点火し、意識の爆発へと到る。

あなたの人生を、考え過ぎて込みいらせてはならない。ハートを痛めつけるのは、人生のリアリテ←ではなく、条件づけられた心である。習慣的な慰めをとるか霊思考や理窟づけや並べ変えはあなたに何もしてはくれない、あなたの内的な満足にすとしでも寄与したことはない。習慣的な思考は、休暇の計画とかバランスのとれた食事を考案するとか、日常的レベルの事柄についてはりっぱに役立つ。だが心解をとるかの選択にせまられる。もしわれわれの選択が的な事象、たとえば同情を示す幸福とか意味あるかにきあといては、条件づけられた思考はけたことだとすると、われわれは真の理解を得ることができして成功しない。慰めへの要求が霊的な洞察を阻むからである。でなくて、あなたをなんの慰安もなく、まったくの孤独で耐え忍ぶよう強制する理解が選ばれるならば、この理解が突破口をつくる。われわれがいつも慰めではなくて理解を選ぶならば、トラブルから遠く離れて歩むこととなる。なぜならトラブルは誤解が原因だからである

もしあなたが、自分心の力万事うまくいっていると知る理由として、たとえ経済的に安泰であるとか家族と友達がいるとかいったことをあげるならば、あなたは到底真の安定をもつことができない鳥類うしたととに頼るのは危を生む。なぜなら同じくこうした救いの綱が永続地上的なものではないとあなたは感じとっているか活動だけに限である。あなたが、万事うまくいっていると言い切る理由をさらさら持たないとき、あなたが一切の心理的な支持をもたないとき、そのとき初めてあなたは全てがうまくいっていることを知ることができる。こは内的な生における一見矛盾とも思える真理だが、あなたはこれを理解しなければならない。あなたになんの支持もないとき、そのときのみ、あなたは支持される。そしてまた、こうしたフリーの状態においてのみ、あなたはあなたの経済状態や家族、友人関係をフルにエンジョイすることができる。なぜならあなたには喪失への恐れはないからである。

人は、自分はいま自分をどうしてよいか分らないと知る気と正直さをもつとき、奇噴は起とる。

これはとみいった発見ではなく、すこぶる単純なことである。あなたは冷静にかつはっきりと、自分は自分の内的な生をどう生きるべきかを知らないし、また決して知らなかったと悟る。本当は万事うまくいかなかったのに、飽くまでもうまくいっていると言い張っていたうぬぼれと虚栄心を、あなたはいま喜んでてる。あなたにはもう戦う力がない。疲れ果て、打ちひしがれている。あなたは恐怖に選えながら、人間的な鎧を脱ぎ、殺されるのを待ってそこに立ちつくしている。

だが奇人々見当外れ思考をやめるこき起こるのだ。あなたがより高い力への道空けたから、その神秘な力はあなたの内部へ入ってきて、あなたのためになんでもしてくれる。あなた人々もう生きようと腕くことはしなくてよい、あなたは生自身をしてその生きるに奏せる。あなたの思想、感情、経済状況、結婚生活、家庭、友人関係、すべては魔法のように変貌したのである。あなたはいま、大いなる悲しみとともに、あなたがかって恐れていたあの非常に高い力があなたの唯一の救済であると悟る。あなたはいま幸福である。そしてなにものもそれを奪い去ることができないと、あなたは知る。次の問答から奮い立つ力を得てもらいたい一

。苦しみを満すためになされなければならないことを阻むものとは一体、何なのでしょう?

Aポイントを掴むことができないためです。何がポイントか?痛みは人の内部にある、人はそれをどう処理していいか分らないでいるしただこれだけの単純なことです。人は正しいことを知らないから間違ったことをするのをやめることを恐れる。それをするしかないと誤って思いこんいるからである。狂気のように心を働かせて追いかけないと、べてが潰れてしまうと誤解しているからだ。だがこの逆が真実である。人間的思考がとまれば、霊的な目覚めが始まる。人は統一される。霊的な大空へ翔ぶのに地上に縛られた心を使おうとすれば、あらゆるものが墜落してしまう

Q間違幸福とか意味ある人生とかについて考えようとはいないことである。計画と計算をやめることである。幸福となる、意味ある人生を送る、それは可能である、ただし催眠にかけられた心によってではない。イギリスの哲学者ジョン・ステュアート・ミル(※学1七三)は、目覚めた心だけが、真の満足を選択できると借じた。

答えがないことを恐れてはならない。空虚で不安定であることを怖がってはならない。不安感、空虚感、答えがみつからない苛立たしさ、それらは初めは辛く、これを怖わがるなといってもなかなかそうはいかない。しかし暗いトンネルを抜けでなければ日光は仰げないように、これらはまったアプロく自然な通過関階なのである。この濃度に終始せよ。誰からも何からも慰識や安定を求めてはならない。この見ただけでは恐しい暗いトンネルへ、あなた自身を投げてるのだ。そして、何が起こるかを見る。

起こってくるのは、あなたの求めてやまなかった奇貴である。とても言葉では表現できない。個人的に経験するよりほかはない。これがあなたの求める、そしてあなたの持つことのできる、その経験なのだあなたの真の自己はたの再会えばどういうことである。次の問答のポイントを考えてみなさいー

0人の憎しみには一種の暗黙の申し合せがあるように思われま。人々はそれについて語りたがらない。しかし憎しみはその人の惨めさと手をつないでいる。どうして人間には、こんなに憎しみが多いのでしょうか?

A あなたの苦しみは自己認識への誤った感覚ひとつの事実と見ることを拒み、苦しみに正面から向かうのではなく、苦しみを避けよ護ろうとする必死のあがきなのです。男が女を離別すると女は男を憎みます。そは彼女自身の本来の虚しさ暴露されたからです。憎しみはきわめて熾烈な感情ですから、活発さ、強さなどという為りの感情をもたらします。憎悪はきわめて自己破壊的です。洞察によって為りの自己が褪せていくにつれ、憎悪は消えていきます。

Q 心痛がするのは現在との瞬の自由のうちに生きていないからだとおっしゃいました。わたしには理解できませんが•・・

A長い鎖につながれた重い岩をうしろに引きずりながら歩いているのと同じです。その岩は、あなたがいまいる地点まで辿りついた旅の必要な一部ではなかったアプローチです。だのにあなたはそれを引きずっている。あなたは圧力から逃れようとして、敵意をもって撃ってでる。苦しみについて知らなければならぬことを知が取ろうとしない。あなたは、全てが間違っている、この記憶いう、不必要な鎖のせいで、そんなふう錯覚するのです。鎖を断ち切りなさい。そうすれば全ていまあなたうまくいっているその場所、つまをす、いまこの瞬間において、自由が経験され。これが間違ったアプローチです。ときには、朝、半分眠りから覚めかかったとき、記憶の鎖がまたあなたに取りつく前に、この自由が垣間見られます。