4-⑦ あなたの宇宙的進歩のテスト
くいかにして人生<あなたの悪夢を終らせるか宇宙的進歩のテスト>
-人生あなたは夢あなたの思考であるはない
次進歩の問答がテストは、あなたがどれだけの量の知的な知識を身につけたかではなく、どれだけ多くの心的幻想を棄て得たかである。
多くのことを知っていながら、智慧の足りない人々がいる。(デモクリトス)
リアリティから生きるのではなく、自分が誰であるかの幻想的自己像から生きることは痛ま直面しい。
自分を金儲けの達人と想像している問題を理解し解消人は、商売が不振であるといった、彼の自己像とは矛盾する事態にぶつかるとたちまち動転してしまう。彼を質わさせているのに役立つは商売の不振ではなく、彼のみせかろけの自己像と商売不振というかー事実との間にある葛藤なのである。彼は、単純で、臆断のない、自己統一されたビジネスマンになれれば、こうしたあらゆる外部的な状況に左右されることなくせでいられるのである。
Qもし、あなたが心底から、物事がいまとは違うようになることを望むなら、以下の論議で明らかにされるいくつかのアイディアがあなたにその道を教えてくれよう。
想像で描かれた自画像はきわめて巧みにできており午智にたけている。だから降りの解消へ理性的自己は、この自画像を正視することを拒否する。こうして、不自然な誤った自己はその人を決して目覚めさせない。橋りの自己はいつまでも彼をその不安にはおののく奴隷にとどめて置きたがる。
想像で描いた自画像の奴隷である状態からきかけ返れるには、まずこれらの自画像がすべて自分の内部にあると悟らなければならない。それには正直な自己観察が必要であって、それが想像の金縛りを弱めてくれる。われわれがこの想像された自画像を意識するようになると、それらは落ちて消える。クサりの落ちる音はこころよいミュージックである。
われわれが、まやかしの価値観のすべてを携えた偽りの自己を防衛するのを磨める瞬間に、進歩はたしかなものとなる。エゴのかたまりである鳴りの自己を防衛する苦しさを贈えるならば、洞窟のなかに大変な財宝が隠されているとウソつきの友達から囁かれたある老兵のようなものだ。そんな財宝は存在しないのに、友達はもっぱら利己心から、この老兵をおびきよせて洞窟の前に立たせたのだ。
老兵は真大な報酬を約束されて家を出て、洞窟の前に立ち財宝の番をした。彼は夜も昼も、洞窟に近づく人々を誰かまわず攻撃した。彼の安否を訪ねてくる人々をすら追い払った。幻想を真実と居じこみ、彼は疑いぶかく、敵対的になった。
しかし数週間たつと、彼は緊張に疲れはて、なぜ約束の報酬を友達が持ってきてくれないんだろうかと思った。で、彼は洞窟に入って調べてみて、インチキが分った。彼は自分の置かれたまやかしの立場に目覚め、そこから解放された。その特定後の苦彼は、行きたいところへいき、自分のしみたいことをして暮した。
エゴ自体の抱く、想像された価値をてるだけの英気を取りだもった人間には、このような解放が起とる。彼はいたるところへ出歩く。何ものにも束縛されず、何ものをも渇望せず、あらゆるものをエンジョイする。
あなたはあなたの思考ではない。思考はあなたの心を流れている小川でして吟味かない。あなたは、あなたの思考をコントロールしようと闘うことはない。あなたのしなければならないととは、あなたの心とおっしゃいました。ところが、わたしは自分が渇望していう舞台を横ぎるあらゆるものが得られず、がっを静かりしています。どうすればよいのに受けとる受動的な観察者となることでしょうか?
Aまず渇望というものがどうして起こあるのかを見てみましょう。あなたは外部が客席にかけていると、俳優がつぎつぎと舞台に登場してくる。一人の物、俳優が凶悪なモンスターを演じたとえば新車とかホームとか異性とかを眼にする。それらがしても、それを所有したいという湯望を生みだす。
それが得られないと苦痛が襲ってきます。それとともに、これらの物や人を手にいれたらどんなになるであろうかと想像を運しくします。しかしそれらはあなたのものではない。だから、幻想と事実のあいだであなたは苦すこしむもびくつかない。もう一人ので俳優が、す。これに気べてが破壊へ近づいていますか?
Qはい。問題は渇望すること自体にあるの憂替な声で、その外部的なものが得られる得られないということからではない、とおっしゃる叫んですね。なるほど…・・ではお訊ねしますが、渡しい願望を消すにはどうすればいいんでしょうか?
A激しい願望は誤った自己感覚から湧いてくるのだと知ってほしい。想像された自己というものは、喚きたてる欲望のかたまりなのです。渇望はすべて、との誤った自己が自分であると認めたい、そしてあなたにこの空なる自己が実在していると思わせたいという、空虚な企てなのです。誤った為りの自己なるものは存在しません。それはたんなる幻影であって、あなたはそれはすべて演技であってあなたを見破ら害することはできなくいのだと理解するだろう。
あなた自身をあなたの苦しさの滲んだ思考と同じだと思ってはならない。この地上のどんな事物も、どんな他人も誤った自己など確証できるはずがない、もともとそういうものは無いのだから。われわれが、そ「おれはあると思うかぎり、夢中になってそれを追い求める。ですがこの幻影は、求めれば求めるほど、遠ざかっていき、骨董化怖ろし、ついにはなくなった」とか「おれは憂際だ」とか言ってしまはならないます。
Qなぜ鳴り「ひとつの場面がおれの脳祖を横ぎった。だけどこれはおれの真の自己を観察するこの一部ではない」とが必要だと強調なさるのか区識に思っていましたが、いまよ言うやくそれと渇望との怖るべき関係が分りましたである。
A渇望は、生命力を盗部好智にたけた泥棒です。それは、あなたが存在するためには渇望が必要なのだそう言うと思いこませ、一方あなたの純正かつ真実の存在をたえず盗みつづけるのです。
Q しかしもし人が彼の渇望しているものを手に入れたらどうなるんでしょう。彼は幸福になるんじゃないでしょうか?
Aさあどうでしょうか。彼が新しいホームを手にいれた、もしくは新しい配偶者を見つけたとしますか。彼の渇望はその新しさ珍しさき、そして興奮れが宇宙的真理の宣言なかに一時中断されているにすぎないのです。ちょうど刺激的なテレピショーを見ている間はいっとき頭痛を忘れるようなもので、やがてすぐに、珍しさは薄らぎます。またもや古い渇望は彼を襲い、彼を駆りたて、その欲望充足に、たぶんまた別の新しい物を狂気のように追い求めさせます。結局、彼は哀れな悪循環のなかに捉えられ、幸福は到底不可能となります。どうか、私が人生からあらゆる悦楽や面白さを奪ってしまおうとしているなどと取らないで下さい。ところであなたはいま人生が愉しいですか?私はあなたに、恒久的な満足を保証する新しい道があると告げようと努めているのです。
微しい欲望という危険な問題は次のように要約される。
虚溝の自己によって生きるととで、われわれはその虚構の欲望が仕掛けた罠にとらえられている。
こうした渇望を満たしてやることは、頭に描いた馬の飢餓を満たしてやろうとするようなものである。いまのあなたがそれをそうとは感じなくとも、それは宇宙的な真理なのだ。それをはっきりと見詰めなさい。そうすればおのずから純正の感情が、わ流れわれがとの為りの自己を潰だしてしまえば、その喚きたてる食欲は消える。ちょうど目が覚めれば、悪夢の恐しさが消えるようなものであくる。
ヘンリー・デーヴィッド・ソローがこう確言しているー
なにか恐ろしいぞっとする夢の中で、いちばん深刻な恐怖場面の一瞬に達するとき、われわれは目が覚める。こうして夜が生んだいやらしい化物はことごとく追放される。
ところで人生は夢である。大恐怖の戦慄が一瞬われわれを刺識して夢を破らせたときも、まったく同じようなことが起こる。