2-⑩ 真の自己を明るくしなさい
<あなた真の自身己を流露させ明るくしなさい>
こ-内なる権威にたよれ以上幸福など追求しないことだ
間違ったものを学んできた人々には、径がはっきりしてくる。ネガティブなものを振い落とせ、ということだ。
たとえば人生が不公平に見えるということをとりあげてみよう。不愉快な連中が富み栄えているのに、自分たちのつつましく誠実な生き方をする努力はすこしも報いられず評価もされないと感じている人々が多い。人によってはまた、他人に親切をしてやったのに、結果は不当に遇されるだけだったと不満に思う。
人間的次元では不公平ということはある。しかしわれわれの目的はそれを超えて生きることだ。
より高い次元では、不公平ないし不当な扱われ方という感情は存在しないと知って、あなたは驚くかもしれない。そうした用語はその意味を失っている。あなたは一切の不平不満という感覚はなくなっている。
これはすべてわれわれが何を愛するかによる。もしわれわれの支配的な情熱がより高い生への希求であれば、他人がわれわれに報いようと報いまいと、評価しようとするまいと、我々には何の関係もない。空を翔ぶタカは地上の動物たちから評価される必要をもたない。
理解が深くなったと分るひとつの証拠は、あなたがもはや不親切な人々や面倒をかける人々を非難せず、彼らを哀れなものたちと感じるときである。あなたは、なんぴとも悪徳の応報を免れることができない、不親切な人々は彼ら自身の覇を免れない、と悟っている。あなたはその新しい洞察によって自己処罰を免れているから、他の人々も同じようにしなければならないと知っている。このようにあなたは、不親切な人々に親切なのである。
ついでに、あなたは、あなたに悪いことをしてあなたを痛めつけた人々に感謝してよろしい。彼らは、なぜあなたが痛めつけられたと感じたかを探索するのに必要な刺徴を与えてくれた。そして原因探究の結果、あなたは不当な仕打ちをうけた心の痛みから解き放たれたのである。
外部の世界でなにかまずいことがおこったら、いつでも、内的世界へ眼を転ずる習慣をつけなさい。
われわれはすぐに熱りたち、抗議しようとする。電話をかけようとする。何かを変えようとする。だが、それは止めることだ。そして、次のように考えることだ、「わたしの内部には、こんな無駄なことはせずに、これをりっぱに処理できるなにものかがあるはずなのだが・・・・・・」この内的な世界へ眼を転ずる修練を重ねるうちに、そのなにものかがそこに在ることがはっきりしてくる。
人は生にたいする彼の習慣的かつネガティブな反応を超えて生きるとはどういうことかを初めて垣間見たとき、新いいよろとびを感じる。そしてこれまでのものとは違う、まったく新しい機会があることを感じとるのである。
あなたはこれまで、あなたの心をおおう霧を突き破る機会がどうしてもないと感じたことがなかっただろうか?次のように問うことで、あなた自身にこの機会を与えるがよい。
「わたしがわたしの生を生きるための足掻きをやめて、生をしてわたしのために生きるにまかせたらどんな気持ちがするだろうか?幸福になりたい、評判のよい人間になりたい、賢くなりたいとだけ努める、苦痛にみちた日常の一切をてたらどうなるだろうか?何が起こってくるだろうか?」
何が起こるだろうかと想像を逞しくするのはよせ。とのアイディアに対して、臆病な、びくついた構えはするな。ただしずかに実験してみるのだ。
いますぐ、あなたがとの本を手にしているこの場で、実験してみよ。この瞬間から、もはやこれ以上幸福など追求しないのだと決意せよ。刺激的興奮を求めるとか、友達を訪ねるとか、その他これまでいつもしていたようなことは一切するな。
そのかわり、なんでもする1自然に起こってきたことをなんでも、あなた自身がさせられるままに委せきれ。考えようとするな。あなたの思考をしてあなたのために考えるに委せよ。解き放て、行かせよ。あらゆるイニシアティブを棄てよ。あなた自身を流れるままにさせよ。
初めは、落ち着かなくなろう。構うな。不安になるのは、これまでこういうことをやってみたことがないからにすぎない。何時間も、何日間も、この態度を黙って貫け。生きようともがくな。あなた自身をして生かされるに委せよ。
あなたがこの状態に終始すれば、どういう奇貴が起こるか、私には分っている。私にはそれをあなたに告げることは不可能だ。だが私はあなたに、あなた自身のためにこの実験を強く勧める。実験をあえて行ないたまえ。そうすればこの奇晴をあなた自身が知るであろう。