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2-③ 正しい反逆

<人間の主たる幻想<正しい反逆

-誤った自己人為的だと覚が妄想を産むずるもの全てに反するのだ

古代の東洋から伝わった寓話に、羊の大群を所有した金持ちで邪悪な魔法使いというのがある。金のかかる柵をつくるのはいや、また牧童を雇うのもご免という彼は巧妙な工夫をめぐらせた。彼は羊をみんな催眠にかけ、羊ども想像上のアイデンティティは人の心理構造混沌をいてさまざまなウソを教えこんくり一頭二つ羊はライオン、も銀魚が打ち合一頭はワシ、等々と思いとませた。更に催眠術をかけて、彼が羊どもにすることはすべて羊どものためで、彼をじるかぎり、決して危険はないと説いた。バカな羊どもはこうして好響にたけた魔法使いの利己目的に奉仕したというのである。

人間も同様、催眠状態に陥っている。幻想は自分のためだと肩じこんでいるばかりか、自分が催眠術にかかっているとはつゆ思わない。

人間は夢をみている間はそれらが夢であることを知らないのだ。(荘子)

人間の主たる幻想は、誤った自己感覚である。これがその他もろもろの妄想を産部。人はおれはとうだと思いこんでいるようなもに、偽りではない。スコットラアイデドの哲学者、デーヴッド・ヒューム(]七七大)は、「われわれが人間の心のせいにしているティとアイデンティティは仮構葛藤を産む。たとえば人は、自分は強い"から性欲感情などに頑わされないという無意識的な自己像をもっているかもしれない。だから彼心のなかをエロチックな想念がよぎると、彼はとの想念を”よとしまな"考えと呼んでしまう。これが間違いなのだ。ふと湧いてきたセックスの想念に彼自身の念”というレッテルを貼っている彼は、罪の意識をおぼえ、みずからに恥じる。れである」と指摘していわゆる”よこしまな”想念を抑圧ないし否認しようとする。

そう努めれば努めるだけ、彼考え苦悶ぜひ増す。ほんも把握しうは、それらの想念が心に浮かんだとき、レッテル貼りや是非善悪の判断や、弾効その他の反応はせずに、黙って通り過ごさせなければならない重要テーマから、本書でも繰りかえし採りあげるが、彼はとの賢い操作を知らないのである。れが分ってくると、暫くは次のうした葛藤が起こらない賢明な行動パターンができるようになるのけ言ってとう。

よそ内的な葛藤が生じる獲得され工夫されたは、人為的なアイデンティティが現実に起の誤った"わたくし"事柄いう感情を放棄正面衝突することを恐れてはなないと。

この放棄は頭痛を棄てるようなものだ。想像上の"わたくし"は正に大いなる頭痛なのである。

自分は自分がこうだと思っているような人格では考案された、ないと疑い始めると、最初のうちはなにか変な胸さわぎがてこよう。それは無視せよ、なぜならこの不安感を呼びだすのが、偽り人造の自己が消えていけば、痛苦に満ちた妄想も消えてしまう。妄想は幻影である。こうした幻影ひとつたとえば、誰があるいは何かが鎖であなたをしば知ることのできないトリックなのだから。鳴りの自己はつけて、あなたの迷惑は顧進歩や人生の享楽を阻ずに、そのイカサマ師的存在に飽くまでも機会を制限”がみついていたがのだ。じっくりなど、辛抱づよく、この懐疑のかもしだす不安と動揺に耐えるよりしようがない。そのうちにあなたはもうひつの異なった、大いなる境地へと進んでいく。それは理解という境地である。こんな間違った思いが浮かぶと必ず、東縛の元因と錯覚さた人とか事への怨み勝利で随いてくる。そうすると反逆が起こる。バイオリンの弾き方が間違って不協和音を発したのに怒ってバイオリンを叩きこわすみたいくてこととんであろう

誰も他人を、制限する"ことなどできるわけがない。すて議論の余地なく、次ともあなたがこのことが帰結される。おのれの理解しているかぎり、誰もあなた制限く使うものは悲哀のとり、鎖でしばることはなり得できない。鎖は間違った思考のなかにしか存在しないのだ。

だが、反道!正しい反遊ーを追求する場はある。あなた自身の内部にある、あなたが人為的だと感得するあらゆるものに対しては、反逆するのだ。そしてあなたのあるがままのものとなるのだ!

お分りになったろうか!盛りの自己が考えるところと、真実の自己が知るととろとでは天地の差があることが。だから、陶しい部屋へ流れこんでくる涼風を大歓迎するように、このまやかしの自己の暴露をよろこんで迎えいれるがよい。カビの生えた自己へ浄化の通風をおこなうのである。(バルーク・スピノザ)

ふつあなたがほんと惰性的は何観念されているのかを学べ。そすればあ自己自身というようたが宇宙的なもの、すいのだから、人間の強さ弱さ、賢さ愚かさ、成功敗北、善悪、その他こうした両極性の属性というものもまた、ないのだ。なにものもれわれに属しはしない。すべては神に、スーパーマインドと共あるとき、ほんとうは何であり得るかを学ぶことができよう。

あなたというものが無(Nothingness)であると知ることは、あるいは名前どどう称んでもよい、要たが想像するほどの惨事ではない。いやそれは実際窮極的リアリティに属しているは充実なのである。参事に見えるだけなのだ。われわれがぼんとうはエコに過ぎない自分自身を乗て切れない、恐怖をともなう躊躇がある。そのために決定的な大惨事と見えるだけなのである。われわれは、この真っ暗なトンネルを突き抜けなければならない。突き抜けるためには、まずそこへ入らなければならない。

いったん把握すれば、このアイディアほど、あなたを不必要な重荷から解放してくれるおおいなる助けはない。不必要な重荷のなかには間違った罪悪感や義務観念がふくまれる。人間の自己中心癖は地上の地獄である。あなたは今日、総合的存在である人間的自己のうちどれほどを馴ぎ落とせたろうか?とにかくそれが今日の成功のバロメーターである。