2-③ 正しい反逆
<正しい反逆>(P45〜)
-人為的だと感ずるもの全てに反するのだ
想像上のアイデンティティは人の心理構造に混沌をつくりだす。二つの銀魚(ぎんぎょ)が打ち合うように、偽りのアイデンティティとアイデンティティは葛藤を産む。たとえば人は、自分は強い"から性欲感情などに頑(わずら)わされないという無意識的な自己像をもっているかもしれない。だから彼の心のなかをエロチックな想念がよぎると、彼はとの想念を”よこしまな"考えと呼んでしまう。これが間違いなのだ。ふと湧いてきたセックスの想念に彼自身の″邪念”というレッテルを貼っている彼は、罪の意識をおぼえ、みずからに恥じる。そしていわゆる”よこしまな”想念を抑圧ないし否認しようとする。
そう努めれば努めるだけ、彼の苦悶(くもん)は増す。ほんとうは、それらの想念が心に浮かんだとき、レッテル貼りや是非善悪の判断や、弾劾(だんがい)その他の反応はせずに、黙って通り過ごさせなければならないのだが、彼はこの賢い操作を知らないのである。これが分ってくると、こうした葛藤が起こらない賢明な行動パターンができるようになるのだ。およそ内的な葛藤が生じるのは、人為的なアイデンティティが現実に起こった事柄と正面衝突するからである。
考案された、ないし人造の自己が消えていけば、痛苦に満ちた妄想も消えてしまう。妄想は幻影(げんえい)である。こうした幻影のひとつはたとえば、誰かがあるいは何かが鎖であなたをしばりつけて、あなたの進歩や人生の享楽を阻み、その機会を制限”しているなどと考えることである。こんな間違った思いが浮かぶと必ず、束縛の元凶と錯覚された人とか事への怨みが随(つ)いてくる。そうすると反逆が起こる。バイオリンの弾き方が間違って不協和音を発したのに怒ってバイオリンを叩きこわすみたいなこととなる。
誰も他人を、″制限する"ことなどできるわけがない。すくなくともあなたがこのことを理解しているかぎり、誰もあなたを制限し、鎖でしばることはできない。鎖は間違った思考のなかにしか存在しないのだ。
だが、反逆 -正しい反逆ーを追求する場はある。あなた自身の内部にある、あなたが人為的だと感得(かんとく)するあらゆるものに対しては、反逆するのだ。そしてあなたのあるがままのものとなるのだ!
お分りになったろうか-偽りの自己が考えるところと、真実の自己が知るところとでは天地の差があることが。だから、鬱陶しい部屋へ流れこんでくる涼風を大歓迎するように、このまやかしの自己の暴露をよろこんで迎えいれるがよい。カビの生えた自己へ浄化の通風をおこなうのである。あなたがほんとうは何に似ているのかを学べ。そうすればあなたが宇宙的なもの、すなわちスーパーマインドと共にあるとき、ほんとうは何であり得るかを学ぶことができよう。
あなたというものが無(Nothingness)であると知ることは、あなたが想像するほどの惨事ではない。いやそれは実際には充実なのである。惨事に見えるだけなのだ。われわれがぼんとうはエコに過ぎない自分自身を棄て切れない、恐怖をともなう躊躇がある。そのために決定的な大惨事と見えるだけなのである。われわれは、この真っ暗なトンネルを突き抜けなければならない。突き抜けるためには、まずそこへ入らなければならない。
いったん把握すれば、このアイディアほど、あなたを不必要な重荷から解放してくれるおおいなる助けはない。不必要な重荷のなかには間違った罪悪感や義務観念がふくまれる。人間の自己中心癖は地上の地獄である。あなたは今日、総合的存在である人間的自己のうちどれほどを剥(は)ぎ落とせたろうか?とにかくそれが今日の成功のバロメーターである。