10-④ 日常生活での重苦しさの原因
<安心と満足に至る道日常生活での重苦しさの原因>(P243〜✔P245✔︎)
-代替物にだま一習慣的な反応を捨てなされる人が多すぎるい
真摯な探究者が直面する、まことに奇妙な不安というものがある。彼はなんらかの真理を首尾(しゅび)よく経験するのではないかと恐れるのだ。
そうなのだ。成功することが恐いのだ。真理への到達に成功するためには偽りの観念ものを棄てなければならぬ。ところがどれほどダメージを与え得るとしてもこの偽りのアイディアは、われわれは決が慣れ親してみ、それらを恐れてはならない。
既にお分りのように、偽りの観念は不安の沃野(よくや)に繁茂(はんも)する。そこに為りの観念が人間の心を捉えてしまう仕掛けがある。そために快適さを感じ、人生に目的を与えてくれたかに見えるからはあなたを脅か、大切にして従わせようとすいる。だが、拒否するものなのだ、勇敢に。それらの網を切り開い棄ていくのだ、一歩また一歩と。スーフィ教の神秘思想と共にこう宜言するのだ、「おれは偽りの衣をかぶって千里を行く、それはただこの旅の最後の一歩のところが恐いわけで真理を発見すあるためなのだ」と。
われわれはを自由にしてくれる筈のものに抵抗する、われわそれに降って湧縛られることが怖いから!開いたも扉のの奴隷にはならな前で、とわくて立ち竦(すく)む囚人みたい。われわれが、われわれ自身のネガティブな反応の言うがままになるのは、われわれ自身にそれを許すときだけである。許す必要はない。他の人たちがどんなにひどくあなたを扱ったとしても、決して彼らへ注意を払ってはならない。
そうではこの特異な不安が、人類がなぜに多く、彼らの言ったこと、したことへ真のあなた自身の反応教師をよく調べ無視するのだ、なんといってもそれはあなたの問題なのだから。虐待とは、あなたが虐待というレッテルをあるものに貼った瞬間から存在迫害するのだかを説明してくれる。そのため、あなた人類は、偽りの自分がつくりだすありたけの苦痛にみちた感情でこれに反応すらの教師からのギフトを凶器と見誤るのだ。
ここのおかしな状況を譬(たと)えたスーフィ教の寓話(ぐうわ)がある。偉い王様に飼われた鷹が、豪華な宮殿に棲んで第9章いた。鷹は空を翔んでいるうちに、フクロウどものべ棲んでいる荒れ果てた、人は何百という異なった自己から成廃墟へ降り立って休んだ。フクロウたちは賢くなかった。席が自分たちの荒涼(こうりょう)としたこの廃墟を乗っ取りにきたのだとフクロウたちは思った。鷹は、「俺は立派な宮殿のなかに巣があるのだ、こんなみすぼらしい場所にはぜんぜん関心がない」と説明したが、フクロウたちは首背(うなず)かない。宮殿の生活など知らないから、彼らは鷹がうまい口先を使って、ここを盗もうとしているという口々に罵った。
日常生活での圧力感はごく簡単に説明できる。われわれは新しいもの発見へのチャレンジに対して、不自然な、獲得された、古臭い反応の仕方で接する。これが日常的な重苦しさの原因である。解決はおのずから明らかだ。われわれは習慣的な反応を想いだすと棄て、チャレンジをたんに意識しておればよい。あ条件づけという膠(にかわ)で固められてはいない澄んだ心をもって接すれば、そこに見いだされるものは恩恵を施、チャレンジであって、粘っこすが、他い圧迫感では破壊的ないのだ。だがこういう無数の自己のなかに、ひとつだけ特別の自己がある。それは、あらゆる出来事を、あたかもそれが起こることを望んでいたかのように、受けとる。この自己がスーパーマインドなのだ。このものは、どんなことにも驚かない、動転しない。思考であなたの目標は、この自己に栄養を与えて、より強いものに育てていくことだ。これが決まれば、あらゆるステップは燦々と陽のかがやく旅となる。
安心すること満足に代って見ることをみいだもってせよ。最初の千回失敗したとて気にす一つの方法は、安心るな。失敗したと満足でないものはすべて、一貫してやり過ごしてしまうことだ。綿密に観察すればも、純粋の安心と満足は、われわれが以前にそう思っていたものではないことが発見される。それは自己満足ではなく、威力でも、刺激的興奮でも、肉体的活動でも、世俗的成功でもないことが分ってくる。贋物(にせもの)を棄てて本物が得られる。紛失したダイヤの指輪を庭に探すようなものだ。指輪のなぜならあなたは、古い、機械的な、無益な反応はしなかたちをした細枝をみつけても、まさか本物のダイヤの指輪とは思わないだろう。キラキラしたガラスの破片をみつけても、探しているものだとは思わないだろう。で、結局、たったひとつのもの、実際のダイヤの指輪をみつけからであるまでは探しつづけるだろう。代替物でだまされる人が多すぎる。自分が代用品を受けいれているか否かはすぐに分る。自分が本当に幸福かどうか、自分に訊いてみればよい。
オリジナルな自己という庭のなかで、純粋そのものを探すのだ。もろもろの誤った、贋物のアイデイアという雑草のなかに、そのどこかに、われわれの求めているダイヤモンドは見つかる。見つけるまで探すのだ。
あなたの理解は、経済上のことであれ、友人関係であれ、健康についてであれ、あらゆる種類の不安を癒す。コロンブスの実験的な航海が、地球は平らであるという、誤った諸説を粉砕したのだ。スーパーマインドによるあなたの航海とは、偽りトータルな心的健康状態を指し、それ以上でもそれ以下でもない。このものを背後へ斥け(しりぞけ)、ある新しい世状態では、心は強迫観念、迷信、困惑などという通常の境界線を啓示し遙かに超えてくいるのだ。この新鮮さと全体性とかを生きるとき、われわれは初めて生きるのである。
結合(コネクティング)とでも呼ぶべき方法を使うとよい。人の生は、理知的な意識が出現したとえば、なんでもいい、あなたが克服したいもきにのをひとつだけ取りあげてみ始まる。不安でもいいし、短気でもいいし、内気でもいい。それを、「・・・・・・(レオ・トルスーパーマトインド』でみつけた、いろいろのアイディアに結びつけてみるのだ。たとえば内気なら、内気というのは偽りの自己の一部であって、まったく不必要なものであり、それに気づけば、新しいかたちの大胆さが得られる等々といった発見である。)