10-⑥
<自然な生活こそ宇宙的生活不安の扱い方>(P247〜✔P250✔︎)
-なぜそんなことでイライラするのか
不安は空虚感から起こる。もしあなた自身でありが、空虚感を充分に意識し、抵抗せず、またそこから逃げようとはせず、ただ空虚に気づいてさえおれば、それはなさにか新しい
いつだったか、私がある庁舎ものビルに入変っていっく。たとき、そだしこでは一人の男が公務員と新していなにもの役割かを演じ経験しようと一所懸命に働望んではならないてい。た。市民や上司の期待だ空虚を意識する、機械的動作と顔の表情だ。そうすればマジックは完璧だったおのずから起こる。
そこへ幾人の空虚さを彼自身かの小さな子どもが現われた。陽気で束縛されず、まったく天真爛漫な子どもたち。するら隠そうとその公務員はたちまちリラックスして本当の彼となり、さきほどの人とはまるで人間が変ってしまった。彼は子どもたちに気軽に自然に話しかけた。子どもたちの自発性がしばらくこの男に乗り移ったかとさえ思われた。
本書で、人間のオリジナルな自己、その真の自己、彼の内的存在などというとき、それらは同じものを指している。ここではもうひとつそれを、人の自然自己(ナチュラルセルフ)と称んで、この問題を新しく探究してみよう。
陽気なくつろぎは、大自然そのものがくつろいでいるのとまったく同じく、人間の自然の状態である。滝はそれ自らであることだけにしか関心がない。それが滝にふさわしいと思うような何かをすることになど全然関心がない。滝はわれわれに、滝について考えよなどと強制しない。滝はわれわれの注目をもエネルギーをも要求しない。われわれに贈り物をくれと倚(よ)りかかりはしない。われわれから一切求めない、乞わない。滝はその滝が在るところのものを示しているだけだ。滝を滝そのものであるに委せてそれで充足している。だからこそわれわれは滝のすばらしさをエンジョイするのだ。
こういう在り方をふつうの言い方では、「あなた自身でありなさい」という。もしわれわれが突っぱっており、不安定であるならば、われわれはこの単純明快な助言に従っていないということだ。緊張、不安定などは、不注意に採用された習慣やら観念やらを寄せ集めてくっつけた、人為的な合成自己の産んだ酸っぱい果実だ。
失策、悪さ、愚かさなど、通常このように分類されているものはすべて、不自然さといったほうが、はるかに正確な定義となる。これが人間の間違いのほんとうのあり方なのだ。われわれの本性の正常な流れに反して、不自然に生きているためなのだ。次の問答にはそれが示されているー
Qわれわれが自然のスーパーマインドから考えると、いろいろのネガティブなものが落ちていく、これには順序があるのでしょうか?ネガティブなもののうち、あるものは他のものよりも早く落ちていくか、ということです。
A 順序は個人個人で違いますが、一般的なルールはあります。あるネガティブなものが、その人が彼自身についてもっている不自然な観念と強く結合していればいるほど、このネガティブなものは、不自然な観念に、活動を死にものぐるいに造りだす人は、「だが次に何をしたらよいか、いいものが見つかるだろうか?」という彼自身の衝(つ)きあげてくる問いに恐れおののく。ここで取もまた、この状態に鋭く気づいていることが、苦しみにみちた神経の昂(たか)ぶりと人為的活動との両方を破壊していく有効なスタートとなる。
意識性というものにわれわれの気づいていないもろもろの圧力を破壊する力があると知ることは素晴しいことだ。圧力(プレッシャー)は、われわれがそれを意識していないから、われわれを苦しめる力をもつきのだ。圧力というものの大多数は水面下の雷のようなもので、気づかずに船がそこへ来ると、爆破する。気づかれない不安のひとつに、他の人々が恵ます。自惚れと虚栄心が膠(にかわ)でくっつけられているみたのに、自分だけが退けものにされていると思いすごす妄想がある。われわれは高い給料とか長い休暇とかをもらっている人を羨しがり、自分だけが瞞(だま)されていると感じる。それに気づくことで、このような自虐から自由になかなか落ちないのはそのためでする。
Q びっくりするような実験を教えてあげよう。こんどういうもの、ある人がいちばん先に落ちるのでしょうか?
真実を指摘されたときの小さな忿懑(ふんまん)とか、陰気な話を耳にしたときに起こる抑鬱感情などに対しては、早めに勝利が見られることがしばしばです。とにかく、あなたに、自身の分がどんなにイライラしているかにあ、困っている健康な回復プロセスかをよく見守告げたら、こう答えてやってごらんなさい。ちょうど枯れ葉が枝から落ちるよう、「状況は正にはっきりと、あなたの不自然さが落ちいう通りかもしれない。しかし、なぜそのことでそんなにイライラするのか教えていくのが分りれますせんか?」と。
この径(みち)には千万の敵彼があるかに見えるが、あなたの質問をほんとうに聞いたら、ドキッとするだろうことは一人間違いない。彼は返事をするだけ信頼ろうが、答えは決して冷静できる味方がも正確でも現実的でもないるだろう。感情は昻(たか)ぶり、自然その吶(どもので)り、顔をしかめ、あるスーパーマインドいは溜息をつきながそれだ。われわれが不注意ら答えるにスーパーマインドのまわりに築違いた人為性の壁を、スーパーマインドは絶えず打ち破ろうとしてないる。ロバート・ブラウニングが言った、この
*牢獄に閉じこめられた栄光"をば助けて、脱出させるのだ。
神秘主義彼の教師答えが現実的でないのは、J・P・ド・コーサードは述べているー
われわれ現に、彼がイライラしなければならぬ理由はないことは、われわれが与えかられたものを受けること、それだけだ。
われわれが与えられているものとは何か、それは自然さである。誰かを愛し、危機彼に際して冷静であり、自己敗北的は分らな示唆は無視し、明朗であり、他人を赦し、優しく、助けの手をのべ、煩(わずら)うことなく、勇敢であり、精力的であるいという天来だけではない。リアリティを直視すれば、そんな理由は存在しないの自然さだ。だからして彼は、これが彼の混乱した情動と、人生についての誤ったアイディアの両方にもともとわれわれに与えられづいたもの、非現実的な返答しかできないのである。
イエス、老子、ソクラテス、その他、達人といわれた教師のすべてが諭(さと)した、まさにその教えがこれらの自然な徳目のたったのひとつだって、あなたが創りだすことはいらない。このことを理解すると助けになる。すでに創りだされており、スーパーマインドの内部に具(そな)わっているものを、あなたはただ、あなた自身に啓示する必要があるだけだ。秘教的な意味では、啓示とは創造なのである。
こ「なにものアイディアを把握しなさについ。そうすればあなたは、急に視界が開けたよても思い煩(わずら)うな気分になるであろう。」