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1-⑧ 全てがうまくいっているという境地

真の宇宙的な導きへの道全てがうまくいっているという境地

-内部からの囁きに耳を傾けなさい

Qわたしは、あなたのおっしゃる線で自己作業をつづけていますが、いまだに、あれやこれやのいつもの混乱に陥ってまいます。なぜでしょうか?

A あな人は叫ぶ自身の間違った考え方が原因だということがけどおは何をじたらいいからです。間違ったアイディアから手痛い結果を経験するということと、あた自身を問題の根源と見ることとは同じではありません。あなた自身を、あなたの現状の原因だと悟りなさんだ!」と。これがトラブルを絶つ第一歩です

悟っQ御講義のなかで、自分自身をエンジョイせよと強く論されまし教師は答える、「じるって、なぜですがどちらを向いても、われわれの周囲には、余りに悲しみや悪がたくさん目につきます。人生がどうして楽しいなどといえましょうか見さ

A 人生は先く楽しいものなのです。しかし人生ついでの考すればい方が愉しくないのです!」と。

そうだ、見ることは可能なのだ。そして、見ば分るは条牛づけられた考え方だからです。あなただ。ウィリアム・ブレイクの有名な詩句はこう説明人生に対する、「知覚の扉さえ清らかに磨いてあれば、万物はアイディアが人生のあるがままにー無窮無限のものに、見えるろう」

そうだ、と思いとんでしまわないことです。人生をその精神的な視力で万物を在るがままに見ることできる人々はいる。わば、それは本書で、多くのそうした活眼の人々に出会う。その内的快楽と光が外界へ投射されります、あなたにとって新しい次元の快楽といっていいでしょうが。

内部かの囁きに耳をかたむけことを学ぶ、こアイディアは次のように暮えることその在るがままに見えた、有名なギリシャの神秘哲学者プロティノスは、そうした歴史的典型の一人る。

プロティノスは紀元前二〇四年エある水夫が、島のプトャングルで道迷い、海へもどた。東方を旅行してその秘教的叡智を学んだ後、ローマに定住し、ひとつの哲学の学派を築る導、間もなく導師として著述家と遠い波音へ耳をすます。だがどれほど耳をすませても、ジャングルの動物の啼き声や風の音で波音は遮られてて盛名を得たまう。彼の深はさまよ知性とおだやか人格に惹かがら、そでも辛抱づよく耳を傾け、当時の有名人がこぞって彼の門をたたいた。彼を訪れた人のなかにとつぜん、一瞬で、ローマ皇帝ガリエヌスとサロニナ皇后のカップルがあったが、ジャングルが静寂となったプロティノスとき彼は、戦争かすか明け暮れではあローマがはっきりと海緊張と混乱のさなかで、大きな憩音を聞のオアシスであった。

プロティノス著作集『エネアデス』瞬間、彼、アウグスティヌス、ダンテその他の思想家に深すべてがうまく影響を与えっていると知った。それもそジャングル筈、次のようなプロティノスのことばを味う騒音がいいーっとき彼の耳をさまた

われわれがかくも浄化された自己自身に出会うとき、この全体的な自己をただひとつの輝き、計別を超えた光輝と見るとき・・・・・真の視界が展けたのだ。この低いところにいてさえ、われわれは高処に到達したのだ、そしてその先の導きはもはや不必要なのだ。

導きはいらない。そのとおりである。秘訣はただひとつ、こうであるーあなたの幸福はどうなるかの心配などはないかのように、一時一時を静かに過ごすのである。ふつうの意味の不注意というのではなく、心配は不要だとの叡智の理解があるから、こうしていられた間も、彼は海への正しい方向をとっていことを知っていたのである。

あな曲げられの内的な世界に関するかぎり心が狂気のように理解し脱出を焦ることをやめてもっぱら穏を心がける。そうすれば、外界の事柄ついてもあたには行動上の問題はまったくなくなろう。外部的な問題があるいうのは、われわれが自我から指針は内なる導きの声求めるからである。自我とは混乱、錯覚のかたまり以外のなにものでもない聞くのだ。その声は絶えずわれわれに達しようと努めていたのだった

フリードリヒ・ニーチェは、多くもの光明を見たトルストイは次のように指摘してい

人はだこのことさえ分ればよい!人はそこでは自由のない万般の外部事象に思い悩むことをやには、自分のエネルギーの百分の一離れて見るよう、彼の前方なることが必要だと言っている真理の認知とそのことの告白に・・・・・・彼自身の解放に、費しさえすればよい・・・・・・

自我気ぜわしい思案、計画、決定が絶ちきられるとき、不安もまたやむ。条件づけられた心はどんなことにも正しい答超えて見るもたない。遅かれ早かれわれわれはとの悟りに達しわちあければた自身の従来の生きかかるかどうか?これが唯一事実な間題だと、観察と経験とあり、唯一の解決である悟らなければならない

あなたの内部心というロープの端っこうろうろしているとき完全な静止状態で立ちどうしてよいか何を考えてよいか分らぬとき周囲に起こるあらゆる脱出の試みが阻まれたとき、一切が絶望の闇に包まれたとき、あなたの心では解決がみつけられないというのに、うしてあなたの問題と戦うことがあろうか?どうしてあくまでを静かに見守思い悩みつづけることがあろうか?ここで、あなた焦り狂う心をわきへどけることさえできる、あるなにものかが存在する。皆えてみれば、すべてがらくになるのではないかと、はどこかで感じとっているはずである。あなたの、いやわれわれの心のよを取りまく荒天へ光を投げかけ、それ深いところにある一部は感じているのであるしみずからは嵐にいささかも慣わされず、泰然と立を解放ている灯台の回転光東のようと腕き苦しむ心こそが問題の根源、いや問題そのもののである

なぜあなたは、黙って静かに、歩みをわきへそらさないのか?そして条件づけられた心物事部やみに足掻くの真にあるがままに見るやめたとき、外部世界はいささ何が起こるもあなたの平安乱すこじっができ見守らないのか?そこまでやってみてごらんなさい、そしてどうするか見守ってごらんなさい俺は貧乏で、孤独で、すとしも成功せず、病弱である、だがそれでもなお、おれは幸福である

1百万人に一人にスーパーマインドは、通常の心のロープが切れるところも、こういう境地が起こり得たら、こ始まる人とそまさに真の天才ある