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1-⑤ 人間とは本当は何であるか

<人間とは本当は何であるか>

まず出発に当って、われわれは多くの人々の実際の状況を見なければならない。彼らの外観をそのまま現実の姿と見てはいけない。彼らを理想像、すなわちこうあるべきものと見てはならない。

人は分裂した自分自身に苦しむ。人々とのつき合いや財産などに安定を求め、同時にそれらの空しさを感じとっている。人は自分自身を発見したいという熾烈な衝動にかられている。だが同時に自己観察が露わにするだろうものに恐れおののく。人は変貌をとげたがる。だが何度変貌しても依然として彼は同じ彼である。人はこれからなにかえらいことを行なうのだと威丈高に宣言する。だが舌の根も乾かないうちに全然逆のことを行なう。人は自分自身を途方もない為造の存在と感づいている。人は自分自身を隣人とつちたいと猛烈に希求する。だが彼の真の自己自身は卿けもたれることはあり得ない。人の微笑は憂いの影りをおびている。人はその不安にたえられず、騒々しい気晴しで不安を消そうとし、同時に気晴しが終ったあとの静寂をおそれる。彼はなにをしようと、なすことはすべて誤りである。

なによりも、彼はびくついている。ひどい不安に陥っている。彼の苛立ちは彼を放っておかない。

彼は、どうにもならず悶え苦しみ、せめてこの内的な危機を、一時的にせよ、とり押さえてくれないかと、織りたい気持で刺激を求める。だが彼はとの内的不安との戦いには絶対に勝てない。遅かれ早かれ、彼は苛立ちに圧倒され、またも救いのない地獄へおとされてしまう。

医師のオフィスへ向かう途中の患者を想像してみよう。彼は途々、ちょっと興味を惹かれる光景を