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58. ワーク / ワーシップ(仕事 / 礼拝)Work/Worship

自分の責任を回避してはいけません!
自分がやるワークのなかでは強烈に生きていましょう。そして、人間として可能なことなら
なんでもやりつづけましょう。それでいて同時に、どのような緊張も創らずに、欲求不満に
ならずに、結果にこだわることなく、自分のやっていることを信頼して祈りにならしめましょ
う。
 ひとりのマスターが、弟子のひとりと旅をしていた。その弟子には、駱駝(らくだ)の面
倒を見る役目があった。彼らは夜になって、疲れて隊商宿に着いた。駱駝を繋ぐのはその弟子
の義務だった。彼はそのことを気にせずに、駱駝を外に放しておいた。彼はただ神に「駱駝の
面倒を見てください」と祈った。そして彼は眠り込んだ。
 朝になって、駱駝はいなくなっていた——盗まれたか、さ迷い出たか、起こるべきことが
起こった。マスターはたずねた。「駱駝はどこにいる?」
 すると弟子は言った。「私は知りません。神に聞いてください。私はアラーに駱駝の面倒を見てくれるように伝えました。
私はとても疲れていたのです。ですから私はどうなったのか知りません。それに、私には責任もありません。私はアラーにはっ
きりと伝えたのですから! それにあなたは、『アラーを信頼しなさい』と教えつづけています。だから私は信頼しました」
 マスターは言った。「アラーを信頼するがいい。だが、まず自分の駱駝を先に繋ぎなさい——アラーはお前の手以外に手
をもっていないからだ」
 もし神が駱駝を繋ぎたければ、誰かの手を使わなければならない——ほかに神の手はない。それに、それはあなたの駱駝
だ! もっとも良くて、もっとも簡単で、もっとも手短な方法は、自分の手を使うことだ。駱駝を繋いで、それからアラー
を信頼するがいい。あなたは自分にできることをなんでもやればいい。それは結果を確実にするものではない。保証はない。
だからあなたは自分にできることをなんでもやるがいい。その後は、なにが起ころうとも、それを受け容れることだ。
 これが駱駝を繋ぐ意味だ。自分にできることをなんでもやるがいい。自分の責任を回避してはいけない。その後は、なに
も起こらなくても、あるいはなにかがうまくゆかなくても、アラーを信頼することだ……。
 アラーを信頼して、怠けていることは、非常に簡単だ。アラーを信頼せずに、やり手でいることは、非常に簡単だ。人間
の三番目のタイプは——アラーを信頼して、しかもやり手のままでいることは、むずかしい。だが、いまではあなたは楽器
にすぎない。神がほんとうのやり手だ。あなたは神が手にもっている楽器にすぎない。
 人間として可能なことならなんでもやりつづけるが、そのことで緊張を創らない人が宗教的な人だ。そのときには、行為
はある種の祈りだ。結果はこうあるべきだという欲望はない。そうなったら欲求不満はない。信頼が、あなたが欲求不満に
ならずにいるのを助けてくれる。そして、駱駝を繋ぐことが、あなたが生き生きと生きるのを、強烈に生き生きとあるのを
助けてくれる。
THE WISDOM OF THE SANDS, Vol.1, pp.70-72