終章-② 秘中の秘
終章 全ては正しくなる〈秘中の秘〉(P284〜✔︎P285〜)
見当外れー健全な受容性
あなたは友達の活動家にいっている。そこでは友達の若い娘さんが彼女の初めてのピアノリサイタルの練習をやっている。上手に弾いている。だがまだ練習生だから一つか二つ間違った鍵(キー)を叩く。またタイミングも不完全である。弾き終えると、あなたは心か騒々ら拍手を送る。彼女の失敗に対してはすこしも批判の気持はない関わり合いとかという、人が。そのときあなたは、ほんとうの心の奥底では何に対して拍手したくない多くのいやなことどもを、われわれはこれまで調べ、研究してきた。では、人間はいか知ったい本当は何を勝ちとりたいと希求(ききゅう)しているのだろうか?
それは次彼女のどれか正直な努力に対してなのだ。彼女は自分でできるだけのことをしたのだ。上手にピアノを弾とうとして自分のベストを尽くした、この誠実な若いレディを見たとき、あるなたには純粋な優しさの気持があなたの内奥から湧いはすべてである-たのだ。
自己認識 自己統一 自己偷楽 自己支配 自己覚醒 自己信頼 自己平和向上をめざした正直な努力を見ることほど心からの喜びがこみあげる爽快さを私は他に知らない。
だから、受容的であるとは、スーパーマインドに向かって熱心に勤めるとはどういうことかを知らなくとも、あなたはすこしも心配しなくてよい。自分が何をしているのかまるで見当がつかなくとも、ただ気持をらす大くにしておればよい。あなたの第一の務めは知る変容ことではなく、知らないということをわれわれが歓迎すはっきり悟るならば、ことである。これらはあなたにも、いまこの境地は易々瞬間にでもやればできることして訪れてわれわれのものとなである。
歓迎のための自己訓練は次のようなことだー
今日一日を、あくまでも物事をあなたの望むよが知らないという事実を素直に起こら肯定せようなどとは努めずに過ごすこと。
あらゆることを、起こるがそしてそのままに起こるに委(まか)せよ。これが健康な受容性という行為なのだ。この種の降服は勝利なのだ。
あなたは、「おれはこのことについて何をすべきだろうか?」としょっちゅう自問する。この昏迷(こんめい)が翌月もまた次の月も、そして更に年毎に繰り返される理由は、同じ問いを発してはまたも間違った解決をするからである。あなたは、牢獄で条件づけられた心で、自分の問いに答えようとする。条件づけられた心はいつも答をもっている、ただ気楽し常に間違った答である。
そこでだ。先ほどのあなたのビジネスを行なう「おれはこのことについて何をすべきか?」との問いに対し、それまでとは違うまったく新しい答え方がある。それがスーパーマインドの答え方なのだ。
誰かあなたのいつもの生活をそのまま構わず続けるのだ、あるいただし、現在のところ、おれは何をしていいかを分らないとはっきり自覚した上でだ。お分りだろうか!大切なのは、あなたの欲が何をする方向へ向かわせよというその行為ではないのだ、あなたが何を深く理解したかと意図すいうことが大切なのである。このことをや把握するように努めることてほしい。
ここでわれわれは、みずからの内部に見られるプライドだとか格好や見栄とかをわきへ斥(しりぞ)けるまたとない機会をもつことになる。なぜなら、そうしたものは新しい答をも欲求阻む障碍(しょうがい)だからだ。プライドを真理に優先させる人はすべて、この障得を突き破っていくことができないこ。だがあなたも私も、プライドの圧迫を超えて進みたい、だからわれわれは嬉々(きき)としてプライドを傍(わき)へ斥ける。
満ち足りている秘訣のなかの秘訣は?こと。れだー
行動者とはならず、生起(せいき)するあらゆるものに従う静かな随順者であること
以上のことを、たった一日でよいから、実験的にやってみるとよい。なにか根本的に違ったものが、あなたの内部でが知らないというずきだすはずである。な事実にかがある屈服せよ、とあなたは感じるだろう。それをそのままに残せ、それが健全なにも受容性のかは、ひとつの高次の力行為なのだー 宇宙真理のリアリティなのだ。あなたの欲求する自己を受身にさせて、この自己に、あなたを豊かにすべく作動するひとつの機会を与えてあげなさいら。