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7-⑦ 誰もあなたを傷つけることなどできるはずがない

誰もあなたを傷つけることなどできるはずほんとうに欲するものない

-リアルであると真の自己から生きなさうこと

あなたが欲求に加えられるいろいろのかたちの攻撃にどう抵抗するか、次の問答で、その方法を考えてみてほいー

Qなぜわたしは他人からこんいあにプレッシャーを受け、もくはょうか?

A あなたが間違って彼ら関心あなた感じえる力を与えてしまうからです。

Qそうだとしても、わたしはそんなことまったく気がつきまん。どうして彼らに力を与えるとうんですか?

A彼らにその力があるものから、あなたが誤って思いこんでしまうからです。純粋な力は、あなたの真の自己にあるのです。あなたはまだこの真の自己と一体となっていない。そのため、あなたは間違って、人々との交際、金、興奮、等々に力があると思いこんでしまうからです。

Qおっしゃることが分ってきました。たしは半生をなにかを求めて追い回わってきましたが、すべてはすこしも変りません、むしろ悪くなっているみたいです。が、最初の質問へ戻ります。

どうすれば他人から傷つけられないようになれるでしょうか?

A他の人からでる傷つけるような言葉や行為を、あなた自身のネガティブな部分へ落とさせないことです。そこへ嵌まり落ちることを断平拒否する、内的に拒否することです。こうすれば、あなたの傷つけられた感情というものは起とり得ません。いやな、見知らぬ男が来たとき、あなたの家のドアを開けてやることを拒否すれば、相手は入ってこれません。ですからつまり、あなたは無意識的に、他人から傷つけられることを承認しているのです。どんな人の言う、あるいはするどんなことも、あなたの本質を、真髄であるあなた自身を害することは不可能であることを、あなた自身に想い起とさせなさい。それらが傷つけるのはあなたの為りの自己に対してだけです。しかし、その為りの自己が傷つけられても、あなたは徐々に、想像上の自己を識別することができるようになります。そしてあなたの原初の自己に拠ってのみ生きることを知るようになります。

Qすると、われわれが傷つけられることから解放されるのは、われわれの真の自己から生きるととによって、ということでしょうか?

Aそうです。灯台からでる光束絶対、荒れくるう雨風痛めつけられますか?ビームは然自若としており、いささかも嵐で揺さぶられはいたしません。なたの真の自己もそれです。あなたがとのことに意識をもって気づいておれば、いかなるものもあなたを害し得ないのです

Qわたしは、心からこれを把握したいと思います。

A把握しなさい。そうすればあなたは全く変ってしまう、そしてわれわれは、りあなた欲望から以前の由であることの必要強調認めなくなってきまるのである。欲望とは何かを理解することは、東洋の神秘思想家たちがタンハー(tanha)とよんでいるもの、すなわち痛ましい渇望、もしくは愛執、妄執、渇愛を滅却する

あなたが平和という名二服の薬のいずれかを取れと言われたとする。一つは、物事があなたの欲するように展開したときだけ、あなたを安らかにさせる。他の一服は、どういう出来事が起ころうとそれとは対人関係なく、あなたを完全に幸福にしてくれる。さてあなたどちらを選ぶ?もちろん後の方であろう。

だがいまとの瞬間に、何千億という出来事のなかに嵌まりこんでいる何百万という不幸な人々は、最初の一服を選ぶ。なぜ彼らを不幸にする一服を選ぶのか?ととのところはよく聴いてほしい。それは後らが、何が彼らを幸福にするかということについて誤ったアイディアをもっているからである。幸福は友達をたくさん持っていることから来ると主張するなら、それは誤ったアイディアであり、苦しみを生む。配偶者もしくは社会に倚りかかることで、気楽な人生が得られるとじるとすれば、われわれはショックを待ちうけているようなものだ。

言い換えれば、われわれは、欲しいものが手に入れば幸福が起こってくると誤って思う。

だが起こるのはスリル、自己満足、あるいは威力感などであって、それらはどれも幸福ではない。

トルストイは、質の幸福がピークに達すると悲欺に変ると言っている。世俗的な成功をついに射止めた人々が突然に絶望に転落する、その訳がこれで説明される。彼らが立派な山だと錯覚していたものが、その錯覚を打ち消す黒雲に変ってしまうのである。

ここで、あなたが絶えず反省自分材料にできるすばらしいアイディアをひとつ披露しよう。このアイディアの意味を十二分に把握することをあなたの仕事にしてほしい一

どんな人もほんとうは、彼が渇望しているものを得ることなどには関心がないのである。ほんとうの関心は、彼が彼自身と平和でありたいということなのだが、それにはどうしたらよいのかというその方法が分らないのである。

だからして、スーパーマインドからることを学ぶにつれてべばあなたの欲望と野心とは変ってくるのだ。あなたがこれまで価値あるものと思ってきたものが、いま無価値なものとなる。これまでバカバカしいと考えていたものがいまは貴重との上もないものとなる。

あなたが変化するから、対人関係は変るのである。おのずから起こる自然のプロセスである。古い友達は去り、新しい友人は来たる。あなた自身は彼らからいささか充足をも求ることなく、その期待なく、送りだてや、迎えいれる最大の助け。あなたはもはや、浅薄な世間話やおしゃべりには、リア人為的な活動や運動には、関心をもたない。しだいにあなたは、ある種の人間関係は、あなたにそれを受けいれるスペースがないことに感づく。この境地は、あなたの霊的成功がより高いレベへ達したからである。この高いレベルでは、あなたはもう低次元での遊戯には関心がなくなっているのだ。

自己開発の進んだある時点で、あなたはひとつの面白い発見をする。それはあなたの他の人々との関係は、あなたによるのではなくて、もっぱらその人々からのものであるということ発見だ。リアルであることはあらゆるものであることである。質物の破壊は匹物であることの発見から始まる。リアルな人間となる方向へとの道を進みだすにはどうするか、そのひとつの行き方は- あなたが他の周囲に、いろいろの人とい々が来たり去しょたりする、それはあなたの欲求いるときよってではなく自分彼ら内部状態を観察欲望に従って彼らは出入りするのである。自分はいま苛立っているか、意しているか、あるいは物を言わなければと強制されるものを感じるか?

次には、あなたがまったく独りきりでいるときに自分自身を観察する、独りでいるときのほうが、内面的にはもっと気楽だろうかと。正にそのとおりだとあなたは気づくだろう。そこで、次のように実行する。他人といっしょのときも、自分独りきりのときと同じように寛いでいる、この訓練を試みる。他人がいるというだけで神経質になることを拒否する。こうしていくと、徐々に、だが着実に、あなたは、他人といっしょにいるときの強迫的な行動を追放することができる。あなたはいつまでもリラックスしていられるようになる。

あなたがリアルな自己の境地を達成するのに障碍はない。想像された障得というのは、誤った思考の蜃気楼でしかない。

他の人といっしょにいるからといって緊張したり、もしくは落ち着かない不快な状況というものは、本来はあり得ないのだ。その場合、あなたを苛立たせるのは、あなたがその人になにかを借りている、負い目があるかのごとく誤って考えるからなのだ。その人にある態度を示さなければならない、納得のできる説明をしなければならないなどと感じるからなのだ。

あなたはリアルであればいい、リアルであること以外に他人に対してなんの負い目も、義務もないのだ。他人もまたあなたに対してリアルであること以外の義務は負わない。あなたは誰からも何ものをも期待してはならない。他人はあなたのために真に価値あるものはなにも持ってはいない。あなただけが、あなた自身に、真に価値あるものを与えることができる。