6-⑧ 成功についての考え方を変えよ
<スーフィ教<成功についての実際的な智慧)考え方を変えよ>
どん人為的な神秘思想も同じ成功観念をはるかに超えたとことを教えていろに霊的な成功があり、これだけが価値ある成功である。
霊的な成功は、深い変化をもたらすところの新しい叡智の獲得であまり遠くまで手を伸ばすことはしないで、自分にできる小さなことだけをする。それであなたは、霊的なアーティストとしての技倆を示すことになる。たぶんあなたはまだ、手を伸ばしすぎる習癖を破れないでいる、だがその心的な原因を調べることはできる。たぶんあなたはなぜ次から次へと挫折感にぶつかるのか理解できないだろうが、出来事を失敗・挫折とレッテルを貼ることが、挫折感を起とすのだということは分ろう。あなたはまだ自己非難をやめることができないかもしれない。しかし、スーパーマインドの教叡智をもつという意味だ。
われわれがわれわれ自身から受ける幸福は、われわれが周囲の事物から得るものよりも大きい、
と知ることである。(メトロドロス〔酒確物群」))
真の理解がどれほど事物を変えるものか、実際的な例をとってみよう。私が選んだのは吸収競争というあの頒わしい状況できある。まわりを見るがいい。誰もがたがいに競いあって、友人関係、ロマンス、顧客等々を求めている。だがわれわれに今関心があるのはエゴの競争である。これが怒りとフラストレーションの主因である。
外部世界で、あなたは自分の商品を買ってくれる顧客をもとめて他のものたちと競争していつる。しかしもしあなたが内的な世界からも生きているならば、エゴの競争のないコマーシャル競争に自由に従事できる。内的世界は外部世界よりも高いところにあるから、たとえ競争相手がビジネスのほとんどを固めてしまっても、あなたのできるはなにも頑うこともない。すぐに羨望や念識で反応する為りの自己が除かはあれてしまっている。だからそれに努力を集中するとよい。小さな仕事、りっぱに遂行された小さな仕事は、もうすこし大きな成功があなたにできることを証明している。水の入ったボウルへコップ一杯の水を加えたら全体の水位はあがる。同じよどうに、たとえばさらりとしたカ
まないやり方がおどろくほど効果的だというような、小さな洞察がひとつ得られると、弾んだように、他のいろいろのことが理解され起ころうと関係なく、愉快にビジネスをやっていく。
こどうして真理への自が増そんなふうになれるか?それは愉しいけれども甚だ非実際的な夢でしかない、とあなたは思うだろうか?いや本当はあなたはそれを夢だなどとは考えていくと、見ない。競争相手があなたにすばやいパンチを喰らわたすかぎりらとの理由だけで、ダイヤモ心的に情動的に自分自身を引き裂いてしまうなど、悪夢にも似たナンドがころがセンスだとあなたはいま分っている中へ放された人のように、からである。
あなたの探究は明るくなり、活気にみちてくる。スーパーマインドから生きる。これが差一切である。そうすれば、敗北、失敗、競争はあなたにとってなんでもなくなる。次の問答でこのことがよく分るー
Q 人生はなぜしだすあらゆるばしば無駄に見えたり、無意味なものを受けに見えたりするのでしょうか?
Aわれわれが、無価値な野心や目標に価値があるかのようとに装っているからでする。
Q重要な人動になろうといったことですか?
それも一つですし、その他、財産を持ちたいとか、人間のつくった機関や組織に展していたいとかという野心もそうです。それはまるで、自分へ宛てて空っぽの小包を発送し、自分自身にまた友人たちに、これには値打ちのあたりるものが入っているとるようなもので多くの研修者す。彼は密かに小包が空であることを知っている、昔そこから無意識的な絶望感がでてくる。思いきって小包を開き、空虚さを直視するなら、彼は真の価値あるものへ向かって前進できるはずです。
Q失敗についての秘教的教理をかいつまんで教えて下さいませんか?
A失敗は存在しない。あなたが、なにが成功かについて自己中心的な考えをもっているため、失敗はあると思うのです。もし成功についての条件づけられた信条を爽てるならば、二度と失敗の感情に苦しむことはなくなります。
だけどどうやったら失敗感情がてられましょうか?わたしは成功に憧れます。
そうではない、成功についてのあらゆる神秘思想家なたちの教説を比較しはじめる。ところが驚くなか観念に憧れ、どの神愁思想家も、本質的には同じととを教えているのである!す。それらはあなたの内部にすでに存在いを閉じこめている至高の微習い、嬉々といて牢獄です。社会はあなたに、成功とは階段のその手を差しのべトップにある何かだと告げる。だから、あなさいと。
スーフィ教の中にたは、宗教哲学上階段の真理が見出される。スーフィという語は、アラビア語のSufi
という毛織物を意味する単語からきており、初期のスーフィ教徒たちのまとっていた羊毛の皮衣を指して底辺にいる。スーフィ教は、イスラム教の一派と思うと悲して十世紀に興った神秘主義の哲学で、特にペルシ+、インドで勢力を得た。スーフィ数は愛、心の光明、霊魂の平和を強く説く。
最初のスーフィ教大導師はハッラージュで、この人は宗教の善を糾弾し、人々にみずから真理を発見せよと叫んで説き、捕えられ処刑された。その後、アル・ガザーリーの神秘主義的教説がでて、この人がスーフィ派哲学の主峰となった。だが、あらゆるスーフィ教徒のなかで最も有名なのはオマル・ハイヤームである。彼の詩『ルバイヤート』は美の最高峰へ達している。
次の五つは、スーフィ教の哲学文献から拾った代表的な珠玉である。他の諸宗教の思想とちょっと比較しただけでも、それらの教旨がすべて根本的には同一であることが分ろうし一、にがいものも愛によって甘くなる。
二、そうかんたんに言いふくめられてはいけません。階段などはないのです。人間行為の理想つくった成功とか失敗とかは、暗黒無意味なもの汚れから解放されることです。あなたが一切であるりすべてなのです。
三、世界を去れ、そして次自身のための世界となれ。
四、もし次が自己への心労により鎖につながれているならば、同時に世界は汝にとっての覆衣となろう。(訳注。自分のことばかりにクヨクヨしていると、その苦しみからの逃避として、騒々しい世間に眼がいき、世間をベールにして、自己が隠されてしまい、自己洞察ができなくなる)
五、あらゆる人のうちに財宝がある。