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6-⑤ 絶望感なく敗北を処理する方法

絶望感なく敗北感情の確実な救治を処理する方法>

一つの感情が出来事に対して条件づけられた心で反応しなま通りかかっている

設化奇態なすばらしい生き方をひ失政つ紹介しよう。それは絶望感を伴わずに敗北感情は、われわれが誰であり何を成就すべきかうちついての不自然な観念で生きるときにのみ存在するいうことだ。これら誤った考え方が、霊的な知性の光にあたっアイディアを注意ぶかく調べ融けてしまうと、敗北と失敗感は永久に消える。

望と承認をもとめてあくせくと駆けずりまわる、これがひとつの誤った固定観念である。なにかよいととが転がりこんできたとき、俺のせいだ、俺がしたんだと自然れることをやめるようごと負かされ、しかも絶望感で反応しると、その後つなんどき不運や災難に見舞われても、エゴが傷つけられたことでは苦しまなくなる。

自惚れや自負心がなくなれば、阿責、自責などの自己非難も克服できる。賞場と非難とはすでにわれわれが第二章で検討してきた典型的な両極性である。言い換えれば、自由の境地は、失敗/成功、自己承認/自己非難という狭くことになったら、あなたの日々はどんな姿となしい限定を超えだろうか?敗北がなかったのと同じたとこはなかに存在している。次の問答を見よ-

Q わたくしは人々がわたくしに注目してほしい、わたくしが関係しているものに惹かれてほしいと思います。この成功観念のどこがおかしいのでしょうか?

A今日一日をあなたは生きる。だが一つの出来事で敗れる、またも別の事で負けてしまう。洋服にコ

1ヒーをこぼした。自動車が壊れた。どうしたらいいか分らぜ他くなった。必要な決断がどうしてもつかない。長続きすると思っていたスリルが消えてしまい、空しさだけが残った…・・・・等々。

条件づけられた心でこれらに反応する人々ではなく、これらの出来事があなたに惹きつ起こるままに委せる、こうすればもはや敗北も絶望もなくなるではないか。敗北感も絶望感も、条件づけられた心が或る出来事にたいしてするたんなる反応にすぎない。

あとでもでてくるが、アルトゥア・ショーペンハウエルは、負けることで勝つというこの奇妙なテクニックについて次のように言っている!

こうした状況でいったいどうして内的な統一が可能なのか?......いや、できるのだ。いちばんいい方法は、彼のなかのどの部分が、敗北という現象でいちばん傷つくかよく確かめて、この部分に常に勝たせてやればいい。これは理性を使えばいつでもできる。彼にその自由意志で、他の部分の敗北が巻きこませた苦痛を味わってみよと決心させるのだ。この彼というのは、つまり人格である。

たとえば、こういうことがあろう。あなたは、なんの説明もなく、不当に誰かから責められたとする。よろしい。あなたは不当に責められた。だからどうだというのだ?なんということもないではないか。どの広い世界全体のなかで、敗北感というものも創りやせるのは、あなた自身の、助地へのじこみだけなのだ。とれが分っているからあなたは平気でいられる。ショーペンハウエルはこのあなた自身を人格とよんだのである。それはまた人生を救う叡智でもある。

絶望のない敗北に生きるとはどういう意味かを学ぶ。そうすれば何が起ころうと構わないのである。そのときは分らないかもしれない。だがほんとうに、全く構わないのだ。そのうちにあなたにも分ってくる。次は問答形式での、これに関する深い真理だ!

◎この真理をわずかではありますが一階できました。でも、次は何をするのかが分りません。

A こんなクヨクヨした気持でいる必要はないとそう感づいている間も、しばらくはあなたがネガティブな状態にあるということは充分あり得ることです。それが純粋の進歩なのですか?

Q いい気分。あなたは海で遭難して彼のって、遠くに岸が見えた水夫のようるからものです。

AいQ分りました。では自己作業のためのはっきりしたアイディアを教えて下さかえれば、

物事があなたの喜びの源は他の人々のあ望むようにるべきだという誤っに対する態度にある考えを払拭してしまいなさい

Q ま、よろしいでしょう、先生がおっしゃるんですから。ですが、なぜそれで物事よくないんで変りますか?

A あなたが他物事人々の気まぐれで踊らされている、それが分らんのですか?彼らの行動、誤要があなた真相を露わある感情をもてと命令している。あなたはその奴隷状態に気がつかないんですか?

Q しかしほかになにがありくれす?ほかにどうすればわたくしがいい気分になれるというんです

か?もしれをやめたら、隔離と孤独のなかでわたしは立っていられないでしょうよ。

Aあなたの原初の自分自身に還れば、隔絶も孤独もなくなるはずです。

Q それはありがたいです。でもどうすれば原初の自分自身に還れるんですか?

Aわたしたちは、それを検討しようという訳です。ま、ついていらっしゃい。

孤立感と絶望的な位しさについては確実な救治法がある。こういうムードから解放されれば、心身症というかたちで現われる憂欝ムードの落し子からも、あなたは自由となろう。

基本的な考え方は、抑替感情を自分だとは思わないこと、それを根本的な自己の一部分だとは取らないことである。そうではなくて、気象学者が黒い雲を調べるように、わきに立って客観的に精査することである。黒雲を調べたら気象学者が憂欝になったというはなしは聞いたことがない。霊的な科学者を志すあなたは、抑感情を観察して抑替にとらわれてはならない。

その感情がどんなふうにして起こるかを観察しなさい。その感情は、しばらくは重くのしかかる。

が、最後には消えていく。あなたはそれへ反応しないよう、反応を一時宙に浮かして置く。「おれは憂欝症になっている」などと考えてこれにとらわれるのではなく、「ひとつの感情がいま通りかかっている」というふうに客体化することである。

このテクニックを修練すると、あなた自身をある程度まで絶望感から引き離すことができる。絶望感を弱めたのだ。絶望感は前のような微しさではけっして二度とのしかかっては来なくなる。これを絶えず実習するとおどろくべき成果があらわれる。この同じテクニックを、パニック感情とか倦怠感とかという他のネガティブな感情の解消に使うこともできるようになる。

神秘家たちは何十世紀もこのアイディアを実践してきた。古代では、たとえばプラトンの後継者であるアテネのアルケシラオス (皿三)はこう言っている。

「融感は静彼を伴ってくる」

訳注。吊懸(Suspension)とは是非の判断、感情的反応をいっとき中止し、いわば宙吊り状態にしておくと