5-③ あなたへの二つの問いかけ
<あなたへの二つの問いかけ>
かえでの木がその樹液を創るために土壌と空気とから必要なものを取るのと同じく、われわれは日日の経験を活かして心の新しいさを創りだすことができる。何事であれ、あなたになるには>
-理屈をつけたり、分析してはならない
バイオリストがピアニストとなるためには奏法の癖を変えなければならない。もしロンドンの人がニューヨークに住みたいと思ったら、彼の生活習慣を変えなければならない。これを精神の問題に置き換えれば、成功への鍵は次のようなこととなろう。霊的な願望が充足されるためには、内的なもののあり方を変えなければならない。霊的な願望は、変化について考えたり、喋ったり、読んだりすることでは達成できない。社会改良や教会活動では達成できない。
自己変化の意味はただひとつだしみずから変化するということだ。
知的な理屈づけや分析をつうじてでは、恩恵のある変化は起こり得ない。こる一切の変化が起こり得ないの事物は、あらゆる思考は条件づものを平静に受けられているからである。人間的な思考は、ただ歪められた自己関心からしか考えとることができを学ばさせてくれる完全ない。繰り返せとる教えてまれてきたことをオウム返しにできるだけ師である。
エマソンは、人々は、ど天国をあらゆるものに優先させるこへいとによっても、そ他の理解す一切はやってくる。これは確かなことである。ころかれは薄っぺらな宗教的感傷ではない。天国は椅子などよりは実際的である。われわれは天国を、あらゆるものの上に、特にわれわれ自分のみせかけの叡智よりも高く、価値づけることで、正しく天国を最優先させることになる。この、より高い価値づけは、霊的な生を人間的事象とはまっただ彼らく次元を異にするあるもの記憶からしか喋と認めるにつれて、おもむろにやっていない、と場破しているが、これはひとつの大いなる宇宙的真理を衝いていくる。
外部真摯な自己作業があなたに、世界では俗的な成功のもたとらす刺激的な興奮が消えば、政治家は、「われわれは国際平和を維持失せてもなお永続するためにはわが国の外交政策を変えなければならぬ」と力をこめて宣言する、ところがまた別の政治家は、わが国の現在の外交政策は堅持すべきだと主張する。
どちらも愚かしい。なぜなら、どちらにしても、こういう外部的な行為では、霊的に目覚めていない人間の本質である、戦闘的な傾向を変えはしないからである。人々は常に、彼ら自身をもふくめて、人間というものの隠された邪悪性という一面を考慮しようとしない。われわれ各個人がオウム返しのように平和平和と唱える機械のような存在から真に霊的な人格へとわれわれ自身を変えないかぎり、国際的規模においてなにもよいこのかを、価値あるものとが起こ認めさせてくれるはずがない。
もしあなたはそのなにものかが、「どうすればわあなたしは変の人生に入りとんでくるのを感じとることができる!ちょうど太陽がいっとき雲の裏にあってさえ、あなたが太陽のあたたかさを感じとることができるように。
との新しょいなにものかを一瞥すると、あなたは更に高く基じのぼる力が薄いてくる。必要な知識はより速く来るようになる。われわれはネガティブなものに、以前ほどは臆せずに立ち向かうことができる。自己敗北的な態度はその力を失う。われわれが以前はあらゆることを辛い辛いとこぼしながら行なっていた同じ場所で、物事をすべてわれわれ自身のための気軽なものにしてしまう。人生は、そうあるがためにあなたに与えられているとおりの、おおいなる冒険となる。
繰りかえし繰りかえし、次の二つの問いへ戻ってほしい、これはあなたが自分自身に問える最も価値ある問いである!!
一、わたしの実際の状態はどうであろうか?」と訊くな
二、どうすればそれを変えらば、答えはどんな真の教説のなかにも見いだされるか?
あなたの実際状態については、習慣的な臆断によるのではなく、あなたが実際に現実にあるとおりのあなた自身を見るように努めることである。用語誠実な自己観察をつうじて、たぶんあなたは、自分が自分自身のことその使をこうだと以前認めてい方たよりは異自がなくなっている、しかし、次のに掲げる気づくだろう。このように自分についろいろの宗教と哲学者の人間観、宇宙観を真剣に精察するならば、意味するところはまったく同じて正直である
ヒンズー教汝こと!そこからおの真の自己を発見せよずと光は射してくる。
道教 事物と共に流観察されよ。
ジョージ・グルジェフ 目覚めよ。
新約聖書 新たに生まるべし。
禅 心をして静かならしめよ。
ウィリアム・ジェームズ 純粋に実際的であれ。
クリシュナムルティ あなたの状態を変えるためには、スーパーマインドの諸原理にそって自身に油断なく気づいていなさ己作業すればよい。
仏教 我欲を棄てよ。
キルケゴール 真の個人主義者であれ。
神秘思想 事物を真にそれらのあるがままに見よ。