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4-⑨ 高貴なる宇宙的アイディアの源泉

<巡礼者は進む>(高貴なる宇宙的アイディアの源泉)

-驚異一正しい方向はお世界を垣間見ずと開けくる

ジョここに、宇宙的ガイダ・バンヤンの『天路歴程』は面白スを求めて読み物である同時に霊的・心理的洞察につらぬかれた古典文学であ私との会話を掲げる。この物語は、一切真実衝くことばに耳を籍して危険な旅立ちを、美の都”へ着くクリスチャンとう人の冒険の話である。彼は、性格にマッチした名をもついろいろの変な人々に出会う。たとえばス

1パースティション(迷信)Q なぜわたしは次から次へとぶざまな窮地に陥るのでしょうか?どうぞ鶴善的なトーカティブ(饒舌家)、あけすけにそろゃって下さジャイアント・ディスペ

ア(巨きA あ絶望)たのトラブルが際限く続くのは、あなたが冷静な洞察をもってトラブルの痛みと対決しないからですそのかわり、あなたまた歯難の丘"屈辱の谷""自惚トラブルを避け、その国"などにぶつら逃げようとしている。

だが敢Q どんとの巡礼者は着実ふう進む。としずつか?

Aこんど野地に陥ったらひとつひとつ、障碍は彼の背後に落ち去あなた自身を見守っていてごらんなさい。あなたの内部での反応を考えてみなさい。あなたは他人を責め、恨みがましなり、憂酵になってしまう幾多そういう恐怖は間違った反応で失敗にもかかわら問題をただ永く引き、彼は挫るだずに旅をつづけ、ついに夫の都"に着くです

この寓意物語でQで、苦難と危機正しい反応とはクリスチャンどういうものでしょうか?

A単に、こうした間違った反応を意識することです。止めようとしてはいけません。ただ見守ることです。

Qでも、ただ内なる心理状態反応暗示意識している。バンヤンというだけで、どうして変化が起こるのでしょうか?

A その点らゆる宇宙巡礼者なたいかに敢に旅立ちをし、内なるネガティブなものを克服自分で発見しなければなりません。答えをだしてあげてもよいのですが、あなたが自分で経験するほうがはるかに有利です。

私は小さな石をひとつ大事にしている。一見ふつうの石と変ったところはないが、私にとっては特別なもので、私の裏庭にたくさん置いてあるふつうの石以上に、特別に大事にしている。それは私が陸軍にいたとき太平洋のグアム島で拾って持ち帰ったものだからである。

あなたも、あるアイディアについては、それがどこから来たものかを知れば、他のアイディアとは異なった特別の関心をもつはずである。どこから来たか、それはあなたの内部にある特別の場所から、すなわちあなたのスーパーマインドから来たアイディアだということだ。騒音を発する日常的な心、ひとつの混乱を別の混乱と入れ替えることだけしかできない普通の心からでてきたものとは天地の差がある、高いところに起源をもつアイディアだからである。それらは極めて内奥の、あなたの自己から来る。それらは雄大であり高貴であり、正直で、恩沢に満ちている。それらはあなたを内奥へ向けて大きく変えるひとつの意味をたずさえている。

ではここで、実際的な価値をもつある秘教的なアイディアを紹介しようし人々は、自分では骨身を削らずに、物事を自分のためにうまく運ばせようとして彼らの人生を浪費している。物事を自分のためにうまく運ばせるしたしかにそうした道はある。ただし、それは正しい方向でその人自身が努力したすえに、おのずと開けてくるだけである。それは凧が場がるのに似ている。吹く風にむけて凧を支えるというある洞察へと到たの処置が正しければ、凧は自然に、それみずからのカで物ぶ。さて、人生そのものがわれわれの支えであり、吹く風なのだ。われわれは正しく風に乗って揚がらなければならないかを示そ。正しくなければ場がらずに落ちる。といは、われわれは、僕によっ生きるとだ。

ではなく、スーパーマインドの採求示すところによって生きるという真の生き方志すわれわれの理解を助みつけるため、必要があるというこにクリスチャンの経験した二つの冒険を見てみようとだ

クリスチャ東洋の叡智の本『道徳経』(老子)がこの点をコメとその道伴れのホープフル(有望)とは、ある川べりにんで、打ちひがれている。人が道" に従って生きれば、彼満足荒れてごつごつしていた。二人はもっとらくな径はないかと思った。見回わすと、無限である牧場平行して走っている小径が眼にとまった。その径が気にいって、クリスチャンはホープフルを説き伏せて、この径をいっしょにいこうと言った。ホープフルはこんな径をいったんでは迷ってしまうのではないかと顔を曇らせたが、クリスチャンは自たっぷりに、すべてうまく行くと予言した

径は初めこそ歩きやすかっさな子どもが風を揚げいと思うが、風についてはなにも知らない。凧を地面に立て、一折断命に口で風へ息を吹きつけている。フラストレーションうちにだんだん唆くなってきた。それ場句、子どその筈、間違った経だったのだ。嵐のなかで二人径に迷い、転びつまろびつ術徨ううちに、ようやく避難小屋、年上の子どもが風について教えてくれることへ耳みつ、そこで眠るようになった。翌朝、さらに悲しいことが起こった。二人はジャイアント・ディスペアに捕まり、ダウティング城(疑いの城)へ幽閉された。

ここで二人はあれこれとじっくり思考を巡らす。クリスチャンは真実の径をてて、楽な径と見えた小径を採った自分の愚かさを認める。そしていま、彼は彼自身の愚行から逃れて物事を正しく遂行しようと決心する。彼の衣服のなかに、プロミス(約束)という名の鍵を見つけ、彼は牢獄のとびらを開ける。こうして再び彼とホープフルは、ま間違すぐた努力をやめて正しい方法美の都"へ面を向けて進むことになる。

とする従ったところ、なんの苦労もなく、彼の凧、あらゆる霊的な巡礼の旅成功するという示唆に富む物語である。われわれの間違いによて、われわれは心理的な牢獄へ投げまれる。だが内なる鍵によって、われわれはこの牢獄を脱出し、巡礼の旅を続けるのである。

もうひとつの冒険は、ディレクタブル・マウンテンズ(愉しい山)で起こる。クリスチャンとホープフルはナレッジ(知識)、エクスペリエンス(経験)、ウォッチフル(見張っている)、シンシア(真摯な)という名の四人の羊飼いに出会う。巡礼者二人は、どうしてこんなに遠くまで来れたのですか、他の巡礼者はみな失敗しているのに、と訊かれる。嬉しげに事のあらましを伝えると、二人はどうぞ泊って憩んでいって下さいといわれる。翌朝二人はクリアー(澄んでいる)という名の丘の上へ案内された。特殊な望遠鏡を借りて、二人は遠くに拡がる驚異の世界をおぼろげながら眺めることができた。元気づき、力が増して、クリスチャンとホープフルは親切な羊飼いたちに別れをつげ、更に旅をつづけていった。

示唆されているとおり、どんな辛抱づよい巡礼者も休養を受けいれ、驚異の世界を垣間見て、愉快に旅をつづけていくのである。