4-① 隠された痛みと悲しみを終らすには
<いつも明るい気持ちでいる隠された痛みと悲しみを終らすには>
-事物を1あらゆる悲しみからの解放は、スーパーマインドにおいて可能であるがままに見る
2真の平静と落ち着きを得るために、表面的な快さを乗て、霊的な洞察にたよれ
3スーパーマインドに頼るとき、世間的な答えのないことを恐れてはならない
4個人的な悲しみに抵抗してはならない、怒ってはならない
5苦しみを賢く活用すれば苦しみは消せる
6誰でも苦しみの夢魔から目覚めることができる
7あなたの心にほのかに明け始める宇宙的真理にはどれにもその人間的な物がつきものである。真の幸福に対しての幸福があり、真の進歩に対して擬似的な進歩があり、正しい考え方に対して間違った考え方がある。爽快さは道を注意ぶかく観察せよい状態でもあり必要なことでもあるから、われわれは真の爽快さと物の爽快さとを識別したいと思う。
贋8スーパーマインド思考はネガティブな思考を抑え、失敗の爽快さは幻想の根苦しみから咲く。たぶんあの解放を保証する
9あなたは、その外面的な挙動がいかスーパーマインドにもあなたをよい気分にさせる誰かに会うだろう。あなたはとの人はわたしを助けてくれると思う。だが親しくつき合ってみると、彼が弱い人でありあなたへ敵意をもった人間だと分る。あなたが彼に対するとき感じていた狭さは、あなた自身の誤解にも治癒者とづいなれる
10大宇宙精神の力が、あなたの勝利への意志を支える
内面を見よ。たえず見守れ。あなたの油断なき注意力を使え。たとえば、ソフトなムード音楽を流しながら大声で喋っていたるテレビ番組を例にあげてみよう。音楽だけに注意を集中すれば、声は遮断され、音楽をはっきりと聞くことができる。同じように、内面を見守れば、外部のだと悟ノイズに関わりなく、常に平静がある。
だもし忍耐をもって、もし見守ることをもって、一条の新しい光老を確保でき、わたし自身の高揚を感じることが真の腸気さできるというもなら・・・・・一体、わたしは見守らずにおれようか?(ヘンリー・デーヴィッド・ソロー)
本章でわたしたちが一緒に研修するのはこのことである。われわれが事物をそのあるがままに見るときは、ごく自然に、なんの骨折りもなしに、陽気な気分があらわれる。そわれはリアリティという岩盤に根差している自身のなから、外部世界の流砂に関係なくいつまでもそこに在る。
自由解放の光芒を見まもりつつ、悲哀の問題を深くそして真の教師は陽気で爽快な特性をも剣にさぐっている。山頂に立ったとき、爽快さを味わわずにいられる人があろうか!シュリ・オーロビンド(デルがつ時いたエ〇)はそうした明るい教師だった。イギリスのケンブリッジ大学を卒業後、インドへ戻り、政界で活動した。しかし遂に大学教育も政治権力も精神の円満な統一を培わないと悟り、彼は神秘思想のへと転回して、宇宙的な秘宝を認識するにいたった。
今日、シェリ・オーロビンドの著作は、その人間的世界と宇宙的世界への深い洞察のゆえに、世界的に高く評価されている。オーロビンドは、実際的な指導に爽快な激励を結びつけて真理を説いた。ととにいくつかのいかにも快い彼のアイディアをあなたに紹介しみようー
内的世界の真の生へたえず菌をむけ、そとに帰れば必ずやトータルな勝利を得るであろう。
あからだの健康をたもつためには、肉体的なた疼痛がぜひとも考慮されなければならないのと同じく、心の痛みはあらゆる瞬間に新しく創られる。
あなた自身の霊的な啓蒙全体性への導きとして用いられなければならない。好運にも、悲哀はわためしたちに道、わたしたちがふつう無視しようとするものを選ぶ吟味させる。心の痛みが消えないとき、人生は気楽なものとなる。
それが何であるかを観るとき、あなたは真の魔術をおとなっているのである。
思考と発言で間違ってもけっして自分われわれ自身を叱新たに見なおして、確実な処置を発見するには及ば機会を与えられたということない。
よりよいなにものかに漠然とでも気づいたら、陽気にこれに随いてゆけだ。
私の径を辛抱づよく歩めば、必要な智慧と力と機会とが顕われてくは保証する。
柔い陶土から花瓶あなたの特定の悲しみがなんであれ、解放は可能であると。だがあなたは根本的な原理を創り、その形が気に入掴まなければならないときは、。そのままれを次に検討しておくことはない。花瓶にはあなたがその形を変えるのを阻止する力はない。あなたが主人だからだ。いまの形状は、あな仏陀がしたがそれをどよう処分するかには関係がない。あなたの現在は固定されたものではない。未来はあなたの掌中にある。あなたはあらゆるものを、あなたの欲するもの光り輝く生へ造りなおす力をもっている。
主導権はあなたのものだ。あなた自身の為めになる選択をせよ。真実だと告げられてきた伝統と習慣の囚人にとどまってはならない。あなたの真実でないものを、真実と認目覚めることなかれができる。全宇宙があなたの味方であるととを思え。二十四時人間のなかでわずか一秒の何分の一かでさえあなた苦しみに対する観察と冥想が目覚めたとすれば、それはなにか歎すべきこと彼を為したのだ。絶えず主導権をとっいていけば、この数分の一秒は完全な一秒となり、一分となり、一時間、一日となり、ついには永遠な独立苦しみの謎をみずから解いた。 “陀”とないう語の意味そのものが、"覚めた人"ということである。では探究を始めよう。