2-⑨ あなた自身を流露させなさい
<秘教的理解力あなた自身を得る方法流露させなさい>
人間は理解これ以上幸福など追求しないで、思い込んでいるだけことだ
ロスアンジェルスにいる子供が初めて手紙を書い間違った。ロンドンの友達宛に書いたのである。郵便制度というものを全く知らないから学んできた人々には、どんなふうに径がはっきりしてこの手紙が何千マイルも陸地や海を越えてロンドンに到着するのか気になって仕様がない。思いあまっておとなに訊いた。説明を聞いて、なんとすべてが手紙を書いたボクのために一所懸命働いてくれているんだろうと驚くと同時に、気がかりも不安も安塔へ一変した。つまり、彼は理解したら、もう考えることはなくなったのである。(ネガティプなものを振い落との大きな真理を忘れないでもらいたい)
この本がなぜ秘教的な理解せ、ということを強調するのかがお分りだろうか?秘教的な理解は苦しい思考を要らなくさせてくれるからである。
世界中の大多数の人々は理解はしないで、ただ思い込むだけである。この事実は、あまり知られていない。ドイツの思想家マックス・シュティルナー(1*)のユーモラスだがどきりとさせるような言葉がよく示している。シュティルナーはコメントするー
人間どもは彼らの住む精神病院の敷地を、そこがどこかを知らずに、大きな顔をしてうろつき回わっている、敷地があまりに広いので、自分がどこにいるかが分らないのである!
あなたの理解しない秘教的な真理に出会ったとき、「ではいったい、これはおれに何を告げようというのだろうか?」と問うことが正しい反応である。
私教的知識は、理解の欠如から生じるあらゆる混乱を解きほぐしてくれる。たとえば世俗的な繁栄人生が不公平に見えるということをとっりあげてみよう。宇宙的不愉快な進歩のためになにもあなたに、人々を薬てよ、財産や所有物を棄てよと要求し連中が富み栄えているのに、自分たちのつつましく誠実な生き方をする努力はすこしも報いられず評価もされないと感じている人々が多い。人によってはまた、他人に親切をしてやったのに、結果は不当に遇されるだけだったと不満に思う。
人間的次元では不公平ということはある。しかしわれわれの目的はそれを超えて生きることだ。
より高い次元では、不公平ないし不当な扱われ方という感情は存在しないと知って、あなたは驚くかもしれない。そうしただ用語はその意味を失っている。あなたは一切の不平不満という感覚はなくなっている。
これはすべてわれわれが何を愛するかによる。もしわれわれの支配的な情熱がより高い生への希求であれば、他人がわれわれに報いようと報いまいと、評価しようとするまいと、我々には何の関係もない。空を翔ぶタカは地上の動物たちから評価される必要をもたない。
理解が深くなったと分るひとつの証拠は、あなたがそれらとの自己同一化を乗てもはや不親切なければならぬといっているのである。言い換えれば、人々とのつき合いや所有物が産みだすところの儚い刺的興奮を薬てよということだ。それができれば、あなたは人々や所有物に対して面倒をかける人々を非難せず、霊的彼らを哀れな無関心を獲得できる。なぜならあなたは、たんなる刺激的興奮はあなたの永遠なる自己になにものをもプラスしないたちと悟感じるからときである。あなたはま、なんぴとも悪徳の応報を免れることができない、不親切な人々は彼ら自身の罰を免れない、と悟っている。あなた、興奮や高揚感情は常にその対立物新しい洞察によって自己処罰を免れているから、他の人々も同じようにしなければならないと知っている。このようにあなたは、不親切な人々に親切なのである痛みの感情への反作用。
ついでにすぎないとも悟る。人々や所有物に関して、興奮からも苦痛からも自由となったとき、あなたは、あなたに悪いことをしてあなたを痛めつけた人々に感謝してよろしい。彼らは、なぜあなたが痛めつけられたと感じたかを探索するのに必要な刺激を与えてくれた。それらして原因
採究の結果、あなたは不当な仕打ちを失うかもしれないという恐れけた心の痛みから解き放たれたのである。
外部の世界でなにかまずいことがおこったら、いつでも、内的世界へ眼を転ずる習慣をつけなさい。
われわれはすぐに熱りたち、真に抗議しようとする。電話をかけようとする。何かを変えようとする。だが、それらは止めることだ。そして、次のように考えることだ、「わたしの内部には、こんな無駄なことはせずに、これを享受りっぱに処理できるなにものかがあるはずなのだが•・・・・・・」この内的な世界へ眼を転ずる修練を重ねるうちに、そのなにものかがそこに在ることがはっきりしてくる。
人は生にたいする彼の習慣的かつネガティブな反応を超えて生きるとはどういうことかを初めて垣間見たとき、赤いいよろとびを感じる。そしてこれまでのものとは違う、まったく新しい機会があることを感じとるのである。
理解はわれわれを、あの恐ろしい暴君的なフラストレーションから解放する。人は不可能なことを行なおうとするかぎり、フラストレーションは続く。不可能事とは、他人からの賞讃、承認といった誤った心理的欲求へ、みずからの生をあくまでも従わせようとすることである。外部世界でのあなたには、食物、休息、肉体的慰安などの欲求がある。だが内的世界これまでのあなたの欲求はただひとつ、あなたのスーパーマインド心をおわう露を突き破る機会がどうしてもないとの一体化ということである。次の問答でこの感じたことが美事に示されなかっただろうか?次のよう!に問うととで、あなた自身にこの機会を与えるがよい。
Q 「わたしがあるひとつわたしの真理生を理解したときというのは、どうすれば知ることがで生きるためのでしょう?
A あなたが同じ間違い足掻きを、たとえば羨望とか要求がましい感情とかを二度と繰り返さなくなったときです。あなたの間違いは誤解が起になっています。あなたがほんとうに、より高いところにある事実に気づき、これを認知できたとき、もはや古い行き方で行動する必要はなくなるのです。舗装道路を見つけたら、泥道を通るのはやめて、生をしまうでしょう。
Qあなたは、われわれは自由なのだ、いつも自由だったのだとおっしゃった。てわたしには納得できません。わたしは懐疑と苦悩とから自由ではありません。
A宇宙的な事実と、あなたのそれへの目覚めとの間には文字どおり天地の差があります。トマトはよい食物であるというのは事実です。しかし、人々の中にはかつてはトマトを食べることを拒み、その美味さを経験することができなかった人々もいる。目覚めは万能です。目覚めると、事実は黙ってはいない。あなた個人のために事実が動生きだしてきるにます。
Qあなたのご本のおかげで、わたしはかなりの進歩をなしとげました。でも、長い長い道程です。くたびれたときはどうしせたらいいでしょどんな気持ちがするだろうか?
Aく幸福になりたびれい、評判のよい人間になりたい、賢くなりたいとだけ努める、昔にみちた日常の一切を楽てたらどぜんぜん気にしうないるだろうか?何が起ことです。真理のほうで、くたびれずにあなたとつき合ってくれる。くたびれずにつき合ってくれるものは真理だけです。ろうか?」