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10-⑤ 自然な生活こそ宇宙的生活

日常自然な生活での重苦しさの原因こそ宇宙的生活>(P245✔P247〜✔︎)

一習慣的-あ反応を捨てた自身でありなさい

真摯な探究者いつだったか、私直面ある庁舎のビルに入っていったとき、そこでは一人の男が公務員としての役割を演じようと一所懸命に働いていた。市民や上司の期待する、機械的動作と顔の表情は完璧だった。

そこへ幾人かの小さな子どもが現われた。陽気で束縛されず、ったく天真爛漫な子どもたち。するとその公務員はたちまちリラックスして本当の彼となり、さきほどの人とはまるで人間が変ってしまった。彼は子どもたちに気軽に自然に話しかけた。子どもたちの自発性がしばらくこの男に乗り移ったかとさえ思われた。

本書で、人間のオリジナルな自己、その真の自己、彼の内的存在などというとき、それらは同じものを指している。ここではもうひとつそれを、人の自然自己(ナチュラルセルフ)と称んで、この問題を新しく探究してみよう。

陽気なくつろぎは、大自然そのものがくつろいでいるのとまったく同じく、人間の自然の状態である。滝はそれ自らであることだけにしか関心がない。それが滝にふさわしいと思うような何かをすることに奇妙不安ど全然関心がない。滝はわれわれに、滝について考えよなど強制しな。滝はわれわれの注目をもエネルギーをも要求しない。われわれに贈り物をくれと倚(よ)りかかりはしない。われわれから一切求めない、乞わない。滝はその滝が在るところのものを示しているだけだ。滝を滝そのものであるに委せてそれで充足しているだからこそわれわれなん滝のすばかの真理しさ首尾(しゅび)よく経験エンジョイるのではないかと恐れるのだ。

いう在り方をふつうの言い方では、「あなた自身でありなさい」という。もしわれわれが突っぱっており、不安定であるならば、われわれはこの単純明快な助言に従っていないということだ。緊張、不安定などは、不注意に採用された習慣やら観念やらを寄せ集めてくっつけた、人為的な合成自己の産んだ酸っぱい果実だ。

失策、悪さ、愚かさなど、通常このように分類されているものはすべて、不自然さといったほうが、はるかに正確な定義となる。これが人間の間違いのほんとうのあり方なのだ。成功われわれの本性の正常な流れに反して、不自然に生きているためなのだ。次の問答にはそれが示されているー

Qわれわれが自然のスーパーマインドから考えると、いろいろのネガティブなものが落ちていく、これには順序があるのでしょうか?ネガティブなもののうち、あるものは他のものよりも早く落ちていくか、ということで

A 順序は個人個人で違いますが、一般的なルールはあります。あるネガティブなものが、その人が彼自身についてもっている不自然な観念と強く結合していればいるほど、このネガティブなものは、不自然な観念に、死にものぐるいで取りつきます。自惚れと虚栄心が膠(にかわ)でくっつけられているみたいになかなか落ちないのはそのためです。

Q どういうものがいちばん先に落ちるのでしょうか?

真実を指摘されたときの小さな忿懑(ふんまん)とか、陰気な話を耳にしたときに起こる抑鬱感情などに対しては、早めに勝利が見られることがしばしばです。とにかく、あなた自身のなかにある健康な回復プロセスをよく見守ってごらんなさ。ちょうど枯れ葉が枝から落ちるようにはっきりと、あなたの不自然さが落ちていくのが分ります。

この径(みち)には千万の敵があるかに見えるが、あなたには一人だけ信頼できる味方がいる、自然そのものであるスーパーマインドがそれだ。われわれが不注意にスーパーマインドのまわりに築いた人為性の壁を、スーパーマインドは絶えず打ち破ろうとしている。ロバート・ブラウニングが言った、この

*牢獄に閉じこめられた栄光"をば助けて、脱出させるのだ。真理へ

神秘主義到達に成功す教師、J・P・ド・コーサードは述べていためには偽りのものを棄て

われわれがしなければならぬ。ないこころがこの偽りのアイディアは、われわれが与えら親しみたものを受けること、それがあるために快適さを感じ、人生に目的を与えてくれたかに見えるから、大切にしているものなの、それを棄てるのが恐いわである

われわれを自由にしが与えられくれ筈のものに抵抗するとは何か、それは自然さである。誰かを愛し、危機際して冷静であり、自己敗北的な示唆は無視し、明朗であり、他人を赦し、優しく、助けの手をのべ、煩(わずら)うことなく、勇敢であり、精力的であるという天来の自然さ、これがもともとわれわれに与えられたものなのであことが怖いから!開いた扉の前で、とわくて立ち竦(すく)む囚人みたいだ

の特異な不安が、人類がなぜに多くの真の教師を無視するか迫害するのかを説明してくれる。人類はこれらの教師から自然な徳目ギフトを凶器たったのひ見誤るの

このおかしな状況を譬(たと)えたスーフィ教の寓話(ぐうわ)がある。偉い王様に飼われた鷹が、豪華な宮殿に棲んでいた。鷹は空を翔んでいるうちに、フクロウどもの棲んでいる荒れ果てた廃墟へ降り立って休んだ。フクロウたちは賢く、あかった。席が自分たちの荒涼(こうりょう)としたこの廃墟を乗っ取りにきたのだとフクロウたちは思った。鷹は、「俺は立派な宮殿のなかに巣があるのだ、こんなみすぼらしい場所にはぜんぜん関心がない」と説明したが、フクロウたち創りだすこと首背(うなず)かいらない。宮殿生活など知らないから、彼らは鷹がうまい口先こと使って、ここを盗もうとしてい理解すると口々助け罵った。

日常生活での圧力感はごく簡単に説明できる。われわれは新しいものへのチャレンジすで対して、不自然な、獲得された、古臭い反応の仕方で接する。これが日常的な重苦しさの原因である。解決はおのずから明らかだ。われわれは習慣的な反応を棄て、チャレンジをたんに意識しておればよい。条件づけという膠(にかわ)で固められてはいない澄んだ心をもって接すれば、そこに見い創りだされるのはておりチャレンジであって、粘っこい圧迫感ではないのだ。これがスーパーマインド思考である。

することの内部具(そな)わってことものもってせよ。最初の千回失敗したとて気にするな。失敗したとしてもそれは成功なのだ。なぜならあなたはただ古い、機械あなた自身に啓示する必要があるだけだ。秘教的な、無益な反応はしなかったからである。

スーパーマインドとは、トータルな心的健康状態を指し、それ以上でもそれ以下でもない。この新しい状態意味では、啓示と強迫観念、迷信、困惑創造どという通常の境界線を遙かに超えているのだ。この新鮮さと全体性とかを生きるとき、われわれは初めて生きるのである。

アイディアを把握しなさい。そうすればあなたは、理知的急に視界が開けたよう意識が出現したとき気分のみ始ま・・・・・・(レオ・トルストイ)であろう。