1-⑥ 秘教的真理があなたを高める
<人間とは本当は何で<秘教的真理があなたを高めるか>
まず出発1人間に当つきものの虚性を理解しなさい
「汝自身を知る」ととが根本的な第一歩である。自分のごく表面的な習癖を知っていることをもってこれを自己理解であると錯覚してはならない。われわれの表面的な習癖は、真の自己を代表していないばかりか、しばしば強迫的であり有害であるのに、われわれは多くとの人々の実際の状況ことを見落している。有害な習癖は、これをはっきりと理解すれば、消すことができる。
われわれは人間につきものの虚性を理解しなければならない。彼虚偽性はわれわれに付着している緊張した、不自然な、不必要なあらゆるもの外観でつくられているからである。
われわれを自発的にさせず機械的にするのは、模倣習癖である。たとえば、男が実際には孤独で妄想に濃かれているのに、みるからに自にあふれ、パーティに明け暮れする人生を送っているフリをする。女性が社会活動に血道をあげるのは、ほんとうにそれが愉しいからではなく、走り回わるのまま現をやめるのが怖いからかもしれないのである。
こうしたわれわれを救ってくれるものは、われわれの真実の姿自己、われわれの根本的な本性、またの名をいえばスーパーマインドなのだ。スーパーマインド、それは自然でリラックスしたあらゆるものから成り立っている。
人々が表出する虚偽性の一タイプと見して、意志力がある。ふつう、意志力といわれているものは、ひとつの欲望が一時的に他の欲望を押え、支配していけるということにすぎない。彼らたとえば、量のため節食したいと望む、だが一時間もすればキャンディを理想像食べたい欲望に負けてしまう。しかし本物の意志力はもちろん存在する。真の意志力は、われわれが相拮抗する欲望群に翻弄されて生きるのではなわちこうく、根本的な自己に立って生きるとき、おのずと出てくるものなのであるべき。
われわれはスーパーマインドについての知識を教えこまれていないから、間違った考え方をし、誤った行動をする。友情、結婚、成功、金、刺激的興奮、セックス、好成績、安堵感、ロマンス、慰め、力、安定感、活力、寛ぎ、人気、権力、快楽、その他あなたの頭に浮かぶどんな通常の利得でもいい、そうしたものを獲得するためには誰か他の人にあなた自身を犠牲にしなければならないなどと見考えることをやめるのだ。一セントを得るのに九十九セント払ってはならない。
人は分裂そうしたものを得るのにあなた自身を犠性に供することだけはやめてほしい。それをやめてみれば、やめるということがなぜあなたの幸福にとって必要欠くべからざる措置であったかが理解されよう。
知識がないことと知性がないこととを混同してはいけない。知性と知識は違う。知性とは知識を集めて把握することである。宇宙ロケットのメカニズムが理解できないからといって愚かだとはいえない。彼はただ情報を穴いているにすぎない。宇宙ロケットに興味があれば、彼はその知性を駆使して宇宙ロケットについての情報、知識を集めることができる。私が知識と知性の問題をここで持ちだしたのは、自分自身に苦しむは宇宙的事実を把握する能力はないと諦めている人があまりにも多いからである。人々とのつき合いや財産などに安定を求め、同時にそれ彼らの空しさを感じとは間違っている。知性とは必要な知識を辛抱づよく集めることだとさえ分れば、誰でも自をもって、自己変革のための情報を獲得することができるのだ。
だが、私教的な事実は、それだけでを目覚めさせることはできない。ある事実を心理的に記憶するととと、この事実を精神的に理解することとは同じではない。単に記憶された事実は、精神的に理解されたものとは違うのだ!宗数の教義に影しい人がそのプライベートな生活では自分自身を発見不安定だといった事例はとのことで説明できる。こうしたいという熾烈な衝動人々にかられている。だが同時に自己観察が露わにするだろうものに恐れおののく。人は変貌をとげたがる。だが何度変貌しても依然、素材として彼は同じ彼の諸事実を詰めこんでおく記憶庫以上のものが要るのである。人はこれか彼らなにかえらいことを行なうのだと威丈高に宣言する。だが舌の根も乾かないうちに全然逆のことを行なう。人は自分自身を途方もない為造の存在と感づいている。人は自分自身を隣人とつちたいと猛烈に希求する。だが彼の真の自己自身は卿けもたれることはあり得ない。人の微笑は憂いの影りをおびている。人はその不安にたえられず、騒々しい気晴しで不安を消そうとし、同時に気晴しが終ったあとの静寂をおそれる。彼はなにをしようと、なすことはすべて誤りである。
なによりも、彼はびくついている。ひどい不安に陥っている。彼の苛立ちは彼を放っておかない。
彼は、どうにもならず悶え苦しみ、せめてこの内的な危機を、一時的にせよ、とり押さえて変革へ導くれないかと、織りたい気持で刺激を求める。だが彼はとの内的不安との戦いには絶対に勝てない。遅かれ早かれ、彼は苛立ちに圧倒され、またも救いのない地獄へおとされてしまう。
医師のオフィスへ向かう途中の患者を想像してみよう。彼は途々、ちょっと興味を惹かれる光景を立ち止まって眺め、また新聞を買って見出しの文字に眼をやり、ぐずぐず時間を潰している。そのうちに、他愛のない気散じも効きめがなくなり、自分の病気が気になりだし、医師のオフィスの方へとにかく彼の足は向かっていく。こうして更に一時間か二時間、逃避と病感とのあいだを往ったり来たりしたあげく、ようやく彼は治癒への道をまっすぐに進むに若くはないと悟るであろう。
人間が本来の全体性を求める姿はおおむねこのようなも精神的な視力が必要なのである。われわれはスリルが宗教に気ついて千もの事実を紛知りながらわし、衝動的れわれ自身についてはな欲望に身を委せ、誤も知らないといった原則ことはザラに眩惑されある。
最大の悲劇は、だれもが、いちばん強力な麻薬は、おれは万事こおれでうまくいっているのだという無意識の偽装である。そのくせ、もちろん彼の内部ではすべてがまずくい自身を知っていると密かに感づ思い込んでいるということだ。この誤ちを絶えず国しているかなければならない。だがある地点に達するもっと、皆岡も痛ましい瞞は耐えがたいものとなり、自己欺瞞は崩れてくる。そしてはっと気づいて嘆息をつき、アソビはやめて、現実という医師のオフィスでの確実な治癒をもとめてまっしぐらに進みだすのである。
秘教的な真理は暗号で伝えられるメッセージに似ている。メッセージを掴みたいとの熱意に燃えた人はこれを大い解読しなる変化という。そけれはどんなにして始まるか?
これまで考えていたものとはまったく違うなにかがあるという覚醒の最初の火花が、あなたの人生の転機となる。以前は、あなたのありきたりの生き方を超えた、あるものなどには気づかなかったし、目もくれなかった。心の痛みはそれを表現するか抑圧するかで処理できると思いこんでいた。だが、ふとしたはずみに開いた、たったひとつの小さな火花が、あなたを、とれまでは無縁のものであった新しい可能性へと目を覚まさせたのである。
閃きはほんの一瞬で、あとは続かない。あなたはすぐに再び眠ってしまう。もう一度との火花が現われるまでには一週間、一ヵ月、いや一年の歳月が過ぎていよう。しかし二度目の火花が散るのにどんなに長くかかるかなど気にしてはばならない。とにかく一度、ほんの瞬間ではあったが、なにものかを垣間見た、意識が戻った、ということが大切なのである。
意識が戻れば、もはやなにものも以前のとおりではない。あなたはリアリティに掴まえられたのである。あなたは前へ動きだしたのだ。この径を振り返ると、それは新しいショック群、深い困惑、新鮮な驚異、うれしい啓示などのコンビネーションであったことが分ろう。とにかくこの径は長いが、あなたは一歩一歩、あなた自身の内なる静寂へと近づきつつあるのだ。そこは、頭上には波識が荒れくるっているにもかかわらず、深海のように静穏そのものなのだ。
ラルフ・ウォルドゥ・エマソンが書いているー
魂が真理と通じあうという事態は自然界における至高の出来事である・・・・・・このコミュニケーションは神の心がわれわれの心のなかへ流れこんできたということだ•••・・・個人がこの浸透を感じる瞬間はどれもみな忘れ去ることができない。
この大いなる変化に至るまでに、なんと長いこと古びた不満足な生き方をしてきたことよ、と嘆くことはない。要は、暗い部屋に電灯のスイッチを入れさえすればいいのだ、暗い時間がどんなに長かろうと構わない。とにかく電灯はつければ変りなく照りつづけるのだから。数えられる心構えであれ!とれだけが秘訣である。